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気持ちの使い方 鎌倉殿の13人。

今週のお題「好きな街」

気持ちの使い方 鎌倉殿の13人

 俺はこの町が好きだ。他より開けているし店だって多い。だんだんと栄えてきた。俺はこの町が好きだし俺らの頑張りよってこの町が栄えるのならもっとこの町のために働きたいと思う。俺は木曾方と俺たちが仲良くやっていきえるように手を尽くした。息子たちも救った。俺はこれでおっさんの駒が増えた。俺の顔を知っている豪族が増えたと思って嬉しかったんだ。木曽の息子方にあなたは甘いと言われたが甘くて結構だと思った。でも俺の認識は甘かったみたいだ。どうして俺は甘いんだろう。どうして俺は助けたい人を助けられないんだ。いつも。と思った。俺はこの町が好きだ。この町にある店も。CDショップも本屋も好きだ。そこで働いている人の顔が輝いて見える。町が栄えてきた。活気のある街には勝ちが寄ってくるとおっさんも言っていた。でも、こんな価値なら要らないと思った。俺は手を尽くした。息子方を守ろうと。おっさんの気持ちは木曽を殺すだけでは満足しなかった要だ。おっさんはその息子も殺してしまった。俺はそこまでしなくても良いだろという事で父さんと回ったんだ。でもダメだった。活気のある街には笑顔が寄ってくる。勝ちが寄ってくる。でもその礎にそんなものが使われているんだとしたら俺は嫌だと思った。俺はただ皆で暮らして声真似していたいだけなんだ。それが今ではこんなことに俺はこの先、たくさん手を汚していくんだろうか。木曽の息子方に言われた俺は甘いと言われた。俺はその時甘くて結構とこの口でいった。それがこの通りになってしまった。俺が木曽の息子方を保護したのにこの町に呼んできたのに。父さんと俺で木曽の息子方の今後を探ったのに。こんなことになってしまった。源頼朝は木曽の息子方を切った時、俺も切ったような気がした。俺はおっさんが俺には二つの顔を使い分けているような気がした。俺はその時ぞっとした。それと同時に俺は今、死んでいない。この町で生きているじゃねえかと思った。人が死んでも俺は死んでいない。好きなことをやって歌を聴いて声真似をきいて今ここにいるじゃないかと思った。そんな思いが頭の中を駆け巡った。俺も歌や声真似を聴くから振れ幅はあってもいいと思う。一つの物に対して色々なアプローチがあるのがいいところだと思っているから。こう思ったとき、俺もやっぱりおっさんと同じだなと思った。おっさんはいつも自分の理想の事しかない。やるとなったらもうやってしまう。それがどんな人間が相手でも確実に仲間に命令する。おっさんには心がないと思う。みんな自分の手でやってしまう。ここまで思ったとき、俺の心の中でこういう気持ちが出てきた。「自分の好きな事のためだったら、人間は何人でもなれる。それが声真似であれ、歌であれ同じだろ。無から有は生まれない。行動するしかないんだ。」と思った。俺はその気持ちに対してうるさいなと思った。俺はその気持ちに対して違うと思った。でもその考え方が嫌いじゃない自分がいた。そんな自分がいたことに驚いた。そんな気持ちを使って生きていることにおっさんもこういう気持ちを使って生きていることに気が付いた。そう思ったとき、俺は甘くて上等だと思った。