ブログもの真似主 nezuzyouziのブログ

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おしん対マッシュル 麒麟がくる。

おしん対マッシュル 麒麟がくる

 俺は猛烈に起こっている。今朝の新聞だ。なんでも、光秀様が丹波の国に出陣なさるそうだ。出陣とか、男の出馬とか、武士の誉と書いてあった。なあ、おかしいと思わないか。だって、俺らにも商店の、物売りの誉ってのがある。だけど、大々的にニュースになったりしないよ。だけど、武士は武士の誉がうんたらとニュースになるんだからおかしいったらありゃしねえ。ほのこにもアイドルの誉、役者の誉ってのがあるはずよな。言葉じゃなくても、吐息一つの芝居でも違うよ。それができる奴は一流だと思うよ。だけど、いかんせんこの御仁はだよ。やれ、武士の世、平らかな夢、仲間や主君との夢、ふざけんなよ。それいえば何とかなるのか。俺ら物売りは、市井の人はどうなるんだよ。俺らはもの売ってんだよ。お前らの夢や希望でどれだけの人が迷惑してるか。考えたことあんのか。戦は全部、変えちまうんだよ。お前らはニュースを作ってやったくらいの気持ちかもしれねえが俺はそれでマッシュルが読めなくなっちまうんだよ。まったく。マッシュルはいいよ。夢のためにまっすぐでよ。武門と違うんだよ。夢をお題目にして刀さえ合ってんじゃねえ。自分の腕で、戦えよ。人を巻き込むなよ。何が武士の誉だよ。

 この時、マッシュルの彼は驚いた。なぜなら、人それぞれの誉があるということは理解しているはずなのに、武士の誉をバカにしてしまったからだ。その時、自分が怖くなったこの気持ちを抱えているうちは武門たちと同じだからである。そう思うと、アイドルや声真似が好きな自分もニュースを作っている。大義のためにと邁進しているつもりの彼らと同じになっているような気がして怖くなった。光秀は斎藤利三という野武士を家臣にするそうだ、戦をなくす。良い世の中にするといっていた光秀が家臣をとる。家臣をとるということは他の武門と同じになったということ、明智派ができるということ。彼はそれが気持ち悪かった。しかし、考えてみるとほのこやマッシュル君に熱をあげている自分もおかしいと思った。その理念に感化され、家臣にしてくれと集まってきた野武士を募っている彼が自分と重なって見え、とても恐ろしかった。自分も同じなのか。と思った。しかし、俺はその怖さ、気持ち悪さにうち勝とうと思った。俺はそっちには進まない。俺はほのこ聞いて、マッシュル読んで、ここで物売りを続ける。と思った。俺は逃げない。と思った。俺は逃げない。何があっても東北の山の奥までは絶対に。いまを生きると、強く誓った。マッシュル君に強く誓った。

田村ゆかりさんのクリスマス配信を聞いています。嬉しいです。

田村ゆかりさんのクリスマス配信を聞いています。嬉しいです。

ゆかりさんは桃太郎電鉄をするそうです。天津の向井さんも一緒です。桃太郎電鉄は日本全国を旅するすごろくゲームで物件というもの。その地域の特産品を買ったり、カードを使ってお友だちや対戦相手の方と駆け引きをしたり面白いゲームだそうです。僕は旅が好きなので僕にももってこいのゲームですね。ゆかりんさん今年も一年過ぎそうですね。僕も皆で乾杯をしました。事前にファンクラブの方から募集したお便りコーナーもあるそうです。楽しみです。まるたまさんが一番に配信があるよ。とツイートしていたのが嬉しかったです。韓国からはタキさんが配信が楽しみだと一時間前から待っていました。韓国には桃鉄があるのでしょうか。もしあるのなら、韓国編もやってみたいです。アジア版もあれば仁川やプサン、平沢市や南大門も登場するのでしょうか。やってみたいです。桃鉄はおこもり需要で新型コロナであってもとても売れたそうです。来年はライブやコンサートができればいいですね。できたなら、皆さんに会えますね。ファイティンです。頑張って。ファイティンです。ゆかりさん。

 アビスパ福岡、J1昇格おめでとうございます。ゴールキーパーのセレンテス選手が良かったですね。来年は「有」だといいね。と可愛い声でゆかりさん。そうだなと思いました。メリークリスマス!ゆかりさん。ゆかり王国の皆さんにも、愛をこめて。これからもよろしくお願いします。                           

カミーユ、新たな大地へ。

 

イルダーナさん頑張ってください。イルダーナさんがコナンの飛田さんの声真似に挑戦するそうです。イルダーナさんはカミーユの声真似の方です。カミーユもそうですが声がとても高い声で話していても、面白い雰囲気の方だなと思います。緊張せずに頑張ってください。同じ声優さんの真似でも勝手が違うようです。ピアノの音も端から端まで音が違いますから、低い音もあれば高い音、ミディアムな音もあります。音と言うのはとらえどころがないものでそれにある程度の法則性をみせた物が楽器です。声もまた楽器であると思います。頑張るってください。頑張ると書きましたが楽しみ事が第一歩です。何事も取り組む。恐れずに、ガンダムのように一歩、飛び出して、カミーユの場合は調子が悪くなりましたが、それもまた一つの人生という事で。イルダーナさん。楽しみです。恐れず、楽しむ。思いはつながる。それを忘れずにいたいものです。

 

父たる証明 麒麟が来る。

確かにそこにあったもの 麒麟が来る。

 将軍様に切れと言われたとき、私は涙がでた。私と信長は夢や時間をともにした友であり、それを切れとは何事かと思った。将軍様も最初は心優しいお坊様であったのに、博識で思慮深く、剣術はまだまだであったが、将軍の器にふさわしい物になってきていると思い、うれしく思っていた。しかし、日に日に幕府の役人と日々を過ごすうちに将軍様は知より武門をとるようになられた。知性があるのがあなた様の良いところであったのに色欲に溺れ、武を使いつぶし、基礎基本のなっていないお粗末な刀裁きをさも妙義のように言い得意になっておられる。私は悲しみを覚える。しかし、人をコントロールするなど、おこがましい事、私は私であって将軍様の親ではない。そう思うと涙も出ないがそこに何とも言えないさみしさがあるのだ。私は寂しい。信長を切れと言われたとき、悲しくつらかった。思わず、涙が出た。けれどもうれしくもあった。私はどこか物事を一歩退いてみていた。しかし、この時、涙が出た。そうすると私も世の中の一員としてカウントされているのだと感じた。私は親ではないといったが信長とは長い時間過ごしてきた。きちょう様とも長い時間、美濃のあの城のあの部屋で長く過ごしたのだ。異国にはクリスマスという風習がありそれを祝うというなんでも、クリスマスというのは神の御子様が生まれた日なのだそうだ。しかし、そんなことは、信長には関係ないそうで信長はプレゼントに興味を示した。かわいい人形を渡すと、「アエイガトネェー。」と喜んだ。魔法図鑑も買った。高かった。しかし、喜ぶと思って買った。キラキラしていた。ろうそくの灯りの中で太陽のように輝いていた。町の出かけたこともあった。かわいい服をたくさん買ったのだ。桃色に水色、はてはリボンまで、信長は町が怖いと言っていた。町は広く、明かりも多かった。人もいた。しかし、その中で時々、自分一人しかいないのではないかと思うときがあるそうだ。その時、私は声をかけ、温かく抱きしめた。「周りが見えなくなっても地に足をつけて、泣いて笑っている。それができなくても私が聞いている。誰もいなくても今、あなたの前に私がいるように私の前にあなたがいる。それで、良いではありませんか。」と、いった。「光秀は優しいネ。」と信長は笑いました。そして、「どんな事あってもさ。一緒にいよう。来年もここへ来るの。春になったらさ、お花見をしてネ。」と笑って、春の魔法、載ってないカナ。」と喜んだ。信長はページをパラパラめくり、「ウゥーン。ウゥーン。」とかわいくうなりながら探していた。愛おしかった。私は長い時間、信長といるのだな。と思った。本当に長い間、小さいころから、今も小さいが少しずつ、大人っぽくなり、大人になり、お題目のように大人、大人というけれど、一年一年、年を越し、経験を積んだ。信長の場合は、おやっと思うとおやっと戻る。きちょう様は「それがしんぱいなのだ。」と言って心配しておられたがそれが信長の魅力か。と思っていた。当人も「それがネ。信長の良さだよネ。」とあっけらかんとしていた。信長は信長、光秀は光秀。みんな違うの。それが良さデショウ。と笑った。おもちゃを買っても、かわいい服を着ても、ケタケタと笑い、くるくると回った。まるでそれが現実ではなくてアニメのワンシーンかのようにきれいに幻想的に回っていた。目もニコニコと光も柔らかくくるくると回り、楽しげに笑う。それが現実の中に輝き、愛おしく小さな光をまといながら生きていた。現実というと変化があった。私も家庭を持ったのだ、現実と虚構、私は二つのものを持ったといえた。こっちの家族は居心地が悪く、何を食べても味がせず、時間だけが過ぎていくような気がする。あんなに口うるさく家族がと言っていたのに。美辞麗句というのは並べるのは簡単だが実践するのはなんと難しいことか。と思った。しかし、一歩でも近づきたい、進みたいと思う。それは我々、人間にしかできないことである。と思うからだ。一時の美辞麗句や美しい言葉を言い誰かを励ましたり鼓舞したりする人は狡いと思う。しかし、そのアニメのような作り物のような言葉で励まされる人もいるのは事実だ。作り物、虚構、フィクションも現実にあるのだ。そう思うと、食べ物味もしてきた。この間、湖が見える城の天守閣から湖をみた。美しかった。だから、信長を切らねばならない。あの日もこの日もどの日もかわいく美しいそれは嘘ではない。きちょう様と過ごした日々も嘘ではない。で、あるから苦しいのだ。であるからつらいのだ。思えば、私は武門、そもそも武士、武士とは将軍様をお守りするのが役目、これで良い。これで良いのだ。と自分に言い聞かせるのも昔から得意だ。さあ、刀を振り上げ。守るものを守り、打ち捨てるものを打ち捨てるのだ。さぁ、刀を下ろせ。これで終わる。そんなとき、信長に言われた。「光秀のユメって何。」と聞かれた。私は当惑した。私は出世し、小さな村の村長から城持ち大名へと出世した。そんなことも分からない。とは嘆かわしい事だ。と思った。しかし、その先から言葉は出なかった。信長は笑った。そして、「はい。タイムスリップの魔法。」といった。タイムスリップか。そんなものはできないな。耳の痛い話だ。と思った。なぜ、タイムスリップができないかというと、それは嘘になるからだ。その人との思い出や忘れられないかけがえのない経験などがそこにあるからだ。信長やきちょうさまと過ごした時間や思い出がそこにあるからだ。そう思う私は父だからだ。と思った。そう思うと勇気がわいた。しかし、涙も出た。クリスマスに思いがけないものを学べた。雪の深い温かな夜だった。信長がくるくると楽しげにキラキラと光をまとって回っている楽しい夜だった。

お題「#買って良かった2020

大人になっても忘れない。 麒麟が来る。

大人になっても忘れない。 麒麟が来る

将軍様は悩んでいた。悩んでいたといっても前での悩み。前向きな悩みではなくマイナス方向の悩みだ。しかし、今まではそのたぐいのものは嫌いだったがそれを許せるようになってしまった。しかし、自分の頭で考えられるようになったのでいいという自分もいる。しかし、それが吉とでるか凶と出るかは誰にもわからない。ただ、一つ言えることは言葉は巡るということである。であるならば前向きな言葉を一つでも多く言って、はきだして前に進むそれが重要ある。そんなことはたくさん述べた。たくさん書いた。たくさん聞いている。昨今は、ダークツーリズムというのが流行っている。その地域の負の遺産や過去の傷の痕跡をめぐるというものだ。なんでも、べとついたところ、恥ずかしいところ、変な成長はあるものだ。将軍はだから、最後には明るい言葉を言える人が勝つと思っている。そんなことができたら一番いいと思っている。その先になのはちゃんも小林賢太郎ビートたけしも待っている。その人が大人になったからと言って、年を重ねたからと言って少年漫画や戦隊ヒーローが変わる和江ではない。俳優さんが年を重ねたからと言って現場は待たない。役柄の幅は広がるかもしれないが、現場が変わるということはない。成長とはできることが増えていくこと。しかし、いう人言わせると、小狡くなっていく、かわいげがなくなっていくこと。初々しさも、感情の幅も、しかし、その中にあって、おとぎ話のような頑張ればいい循環が起きていつか日の目を見る。将軍様はそう思っている。しかし、時々、市中を見回すとそれは助けるに値する人間か。見てきたものが違うのだな。と思うと何とも言えない臭みを感じるような気がする。人間だって生き物である。においや生活は必ずある。将軍とはそれを守る人、武門の棟梁として国の大事なものを守る役目である。それを選んで望んでここにきた。象徴のようなその仕事を望んでここに来た。初めてあの場所に行ったとき、目に飛び込んできた市中の街並み、見たことがなかった大きな道、たくさんの食べ物屋さん。少し、無機質に感じるかもしれないがパソコンのタイプのキー。あこがれたたくさんの飲み物やアイドルやフィギィア達。たくさんの情報。たくさんの顔と笑顔や人々の営み、その中で自分もその一員になりたいと飛び込んだ世界。自分で飛び込んできた店。その一員、漫画や本、フィギアに映画のDVDそこに飛び込んだ。好きなものに囲まれている。酒池肉林である。しかし、そのはずなのに、救うに値する人間かと考えてしまう。人の臭み、本当は好きなものまで、あこがれている人さえも嫌いになりかける。しかし、前と違うのはその自分がいる。立っている場所の輝きに気が付けるようになったところだ。山の寺にいたころとはまた世界が違って見えているところだ。言葉や表現や行動に対してクリアだ。しかし、それがどこまで届いているのかわからない。悩みながら前に進む演ずる。アクションするということを考えているしかし、夢をつかむ人という人は先ほど述べたような人なのだろうか。それともなのはちゃんのように空を飛び、魔法を唱え、マッシュル君のように魔法なんてしりませんよ。これは社会が有してくれませんよ。とわりゃあ、とパンチをするのか。あのぅ、すみません。今、あのう、ほのこぁーーォ、きいてるんでぇ、ほのこ、うたぁ、うたってるんでぇ、静かにしてもらってもぉ、よろしいでしょうかァア。」とブロークンな日本語で暮らしてもいる人なのだろうか。悩みどころである。そんなことをよそに三人はある子は空を飛び、ある人はわりゃあをし、ある人は、いいよなあーーーーー。」と巻き舌で話していた。三人は飛び回っていた。それを光秀がふふふ。と笑ってみていた。冷たい笑いだった。世の中は変わっていく、人も世も言語も、この先に小林賢太郎田村ゆかりさんもビートたけしもいるのだろうと思った。ある人がいった。それでも地球は回っている。前向きか後ろ向きかはわからないが次につながるように、進めていきたい。と将軍は思った。そのうえでのなのはちゃんとの対決である。武門を抑えるということである。それでも、苦慮していくだろう。それでも悩むだろう。それでも、地球は回っている。大丈夫、それでも世界は美しい。なのはは、ホペと首をかわいく傾げても馬鹿笑いをしても、マッシュルは筋肉を鍛えるのが大好きでも、ビートたけしはなんだ。この野郎。馬鹿野郎でも、田村ゆかりさんの歌はかわいく響き、愛されていても、世界は美しい。と将軍は思った。敵は迫ってくる。はたまたライバルか。相棒か。年下なのに敬意が足りないバカ殿か。はたまた同じ夢を抱き、自分を磨く同期か、はたまた元気な田村ゆかりさんに似ている女の子か、もしくは、大人可愛い物事をそつなくこなす大人可愛い女性か。はたまた口車で人を食っていく千年以上生きている悪魔のような悪女か。なやめ、悩め、悩みは踊る。しかし、忘れてはいけないなのはちゃんもマッシュル君もほのこの彼も今、ここに存在しているということを。されど、敵やライバルや大きな壁もそこに存在しているということを。

今週のお題「もう一度見たいドラマ」

麒麟が来る。面白かったです。来週も楽しみです。

きっと、もっと、ずっと、きっと、好きだから。麒麟が来る。

きっと、もっと、ずっと、きっと、好きだから。麒麟が来る。

最近ね。嬉しいんだよね。やっと夢がさ。形になってきてもうすぐそこだよね。って、思うんもん。ここまでながかったよね。もう何年もかかった。いい国はもうすぐそこだよ。魔法が大きく、大きな花を咲かせるんだよ。いいだろ?夢はすてきなんだよ。とっても、豊かな国を作るんだ。平和で安らかな困っている人を助ける安心な国を皆一人で抱え込まなくてもいいんだよ。周りに人がいるから。見てくれているんだ。支えてくれているんだ。それに気が付いて皆に感謝できる事が長くやるコツだよ。やる気が出なくてもうひと踏ん張りでもそれはきっといつか繋がるから。光秀見てると思うんだよ。きっとつながるって今は違ってもきっと、きっとって。夢は面白い。どこまでも無限に広がっていく。それにこたえられる自分になる。それが大切だよ。って思うよね。ふふ。真面目な、あの話しちゃったかな。ふふ。でも、これが夢だよね。夢は起きている時も寝ている時も、テレビを見ている時も見られる。夢のバイキングだよ。なんでもできる。なんにだってなれるんだ。それが大事だよ。少なくとも私はそう。和尚様も最初はきっとそうだし、昔の将軍様だって、スーパースターだって最初は小さなところからはじまるんでんでしょ。そういうもんなんじゃないの。ふふ、でも、良い所まで来たよ。本当にあと、一歩だよ。魔法の国が開くんだ。将軍様だって夢をきっと応援してくれるはずだよ。応援してくれるといいな。手放しでされなくてもそうなってみせる。私には皆がいて字が書けて思いが綴れるから。私の世界は辛辣でつらい世界になり切れないかもしれない。でもさ、それがアンサンブルだよ。それがカルテットになるんだからさ。将軍様、見ててね。一緒にやっていこう。きっと、きっとずっと、もっと負けないように。場所も身分も職業も地方も生活文化も違うけど、私の世界もきっと広がってほしいの。きっと、きっと、もっと、ずっと、もっと、光秀の下へ、将軍様の下へ。フェイトちゃんの下へ、何よりもここに連れてきてくれた美濃の斎藤道三様、小林賢太郎さんの下へ。きっと、きっと、もっとずっと、長くもっと強く、遠くへ響くように。きっと、もっと、ずっと、もっと、好きだから。ありがとうの気持ちを込めて、また一歩。きっと、もっと、ずっと、もっと、きっと、いつか、今、弾くように。そうやって、夢を届けるよ。

だからね。まだ、これからだよ。まだ、これからなんだ。きっと、もっとずっと、いつも。だから、頑張ろう。光秀の事、フェイトちゃんのこと、道三様の事。好きだから。小林賢太郎さんの事、好きだから。きっと、もっとずっと、いつも。だから、頑張ろう。きっと、きっと、もっと、ずっと、もっと、もっと、きっと好きだから。

今週のお題「自分にご褒美」

 

北野武 ビートたけし 麒麟が来る。

北野武 ビートたけし 麒麟が来る

俺は、奴らが憎い。俺は奴らが嫌いだ。奴らはうまいことをいって刀を振り回し、飛び回り、ほうぼうを敵に回し、分が悪くなればすぐ、将軍様将軍様という、俺は許さない。何が武門だ。俺のように学を学び、人々が生きられる世界を作ったほうがいいじゃないか。大事なのは学だ。正しい知識なんだ。うまれじゃねえんだよ。何が尾張一の大殿だよ。わらわせんじゃねえや。俺はお前みたいのがのさばったら、おわりだとおもうなあ。俺、そう思うよ。こっちはこっちでたのしくやってるからさ。女もできたんだよ。俺いいもんだぜ。女ってな。いいもんだ。味噌汁作って待ってくれんだぜ。いいだろ。俺はお前みたいなのも嫌だなあ。動画の女に熱上げてるやつもおかっしと思うんだ。だって、お前も男だろう。何かやれよ馬鹿野郎。俺の幸せを少しは分けてやりたいなあ。住む場所も生きる場所も変わったよ。俺は昔、寺にいたんだよ。おいらに母さんが勉強させるってんでさ。そして、光秀とであってさ、信長とあって、こっちにのぼってきたんだよなあ。あれから何年たったかな。あいつは馬鹿だって笑われんのも、いいぜ。って、褒められて仲間が増えたり減ったりするのももう慣れたんだ。笑われてもさ、いいんだよ。「笑わせてやってんだから。」増えたり、減ったりするのもいいんだよ。そういうもんだ。と思ってこっち来てるわけでさ。あの日、あの時に担がれてここに来た時に覚悟は決まってたからさ。おいら、健さんみたいにさ。なんでも、筋通すおとこじゃねえけどさ、「腹減った時になんか食べるだろ。それみたいな覚悟のしかたもあるんじゃねえかなぁ。」と思うんだ。年取るといろんなこと言われんだ。あの時のほうがよかった。仏の道に邁進して皆がこれを修めれば世の中はきっとよくなると恥ずかしがらずに言えてそこになんの計算もなかったわけだから、そこに何もなかったわけだから。だけど、今は一字一句に考えを柱戦だよな。今だって。だから、今は昔の話を聞いても「この人たちってな。幸せだったのかな。そんなことをいう人間のほうが残酷なんじゃねえかなと思うようになった。なんでも露悪的になれってわけじゃなくてそこにどんな意味があるのかといて見せる。アウトレイジみたいな。もんだよな。龍三でもいい。悪に落ちた人間ってのは、悪なのか。悪を仕事にする人ってな。悪なのか。もし、それが悪だったら、それで飯を食う覚悟、存在する覚悟がいるんじゃねえか。と思ったわけだ。映画はどう見せるかの世界だ。漫才だって同じだよな。ならさ、この世界でお前はどう生きるのか。大変なことになりました。きれいな女がいました。なら、お前はどう生きるか。どう読んでどう、舞台に立ってどうやるのか。そこが大事なんじゃないかと思うんだ。精神論じゃない。明日、食うには生きるにはどうするかってことだよな。そんなこと考える俺はもう戻れないのかな。と思うわけだ。しゃぶしゃぶ屋でしゃぶしゃぶ食ってる人だってあくとるはな。明日生きるってことはさ、なりふり構っちゃいられないわけだから。まぁ、仏を修めた俺がこんなこと言うようになったらおしまいか。どんどんこっちも豊かになってきた。だめでもまあそれなりにやってるよ。だけど、こんなこと思うようになっちゃ終わりなのなあ。俺、一生何も知らない坊主だったらよかったのかな。残念だ。しゃぶしゃぶが来たぞ。肉うまいよ。俺これ好きだからさ。思えば俺の父ちゃんも兄さんの事鼻にかける奴だったかな。まあ、飯食う前にそういうのは無しだよな。。おい、お前、知らないだろ。しゃぶしゃぶのうまさを。一緒に食うか。うまいぞ。どんどん食えよ。さぁ、さぁ、おい。何、遠慮してんだよ。馬鹿野郎。

俺は笑った。鍋が煮えている。薄く切った肉が俺を待っている。俺は肉を見てニヤッと笑った。今日もこうして肉が食える。ありあがたや。ありがたや。

今週のお題「感謝したいこと」