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父たる証明 麒麟が来る。

確かにそこにあったもの 麒麟が来る。

 将軍様に切れと言われたとき、私は涙がでた。私と信長は夢や時間をともにした友であり、それを切れとは何事かと思った。将軍様も最初は心優しいお坊様であったのに、博識で思慮深く、剣術はまだまだであったが、将軍の器にふさわしい物になってきていると思い、うれしく思っていた。しかし、日に日に幕府の役人と日々を過ごすうちに将軍様は知より武門をとるようになられた。知性があるのがあなた様の良いところであったのに色欲に溺れ、武を使いつぶし、基礎基本のなっていないお粗末な刀裁きをさも妙義のように言い得意になっておられる。私は悲しみを覚える。しかし、人をコントロールするなど、おこがましい事、私は私であって将軍様の親ではない。そう思うと涙も出ないがそこに何とも言えないさみしさがあるのだ。私は寂しい。信長を切れと言われたとき、悲しくつらかった。思わず、涙が出た。けれどもうれしくもあった。私はどこか物事を一歩退いてみていた。しかし、この時、涙が出た。そうすると私も世の中の一員としてカウントされているのだと感じた。私は親ではないといったが信長とは長い時間過ごしてきた。きちょう様とも長い時間、美濃のあの城のあの部屋で長く過ごしたのだ。異国にはクリスマスという風習がありそれを祝うというなんでも、クリスマスというのは神の御子様が生まれた日なのだそうだ。しかし、そんなことは、信長には関係ないそうで信長はプレゼントに興味を示した。かわいい人形を渡すと、「アエイガトネェー。」と喜んだ。魔法図鑑も買った。高かった。しかし、喜ぶと思って買った。キラキラしていた。ろうそくの灯りの中で太陽のように輝いていた。町の出かけたこともあった。かわいい服をたくさん買ったのだ。桃色に水色、はてはリボンまで、信長は町が怖いと言っていた。町は広く、明かりも多かった。人もいた。しかし、その中で時々、自分一人しかいないのではないかと思うときがあるそうだ。その時、私は声をかけ、温かく抱きしめた。「周りが見えなくなっても地に足をつけて、泣いて笑っている。それができなくても私が聞いている。誰もいなくても今、あなたの前に私がいるように私の前にあなたがいる。それで、良いではありませんか。」と、いった。「光秀は優しいネ。」と信長は笑いました。そして、「どんな事あってもさ。一緒にいよう。来年もここへ来るの。春になったらさ、お花見をしてネ。」と笑って、春の魔法、載ってないカナ。」と喜んだ。信長はページをパラパラめくり、「ウゥーン。ウゥーン。」とかわいくうなりながら探していた。愛おしかった。私は長い時間、信長といるのだな。と思った。本当に長い間、小さいころから、今も小さいが少しずつ、大人っぽくなり、大人になり、お題目のように大人、大人というけれど、一年一年、年を越し、経験を積んだ。信長の場合は、おやっと思うとおやっと戻る。きちょう様は「それがしんぱいなのだ。」と言って心配しておられたがそれが信長の魅力か。と思っていた。当人も「それがネ。信長の良さだよネ。」とあっけらかんとしていた。信長は信長、光秀は光秀。みんな違うの。それが良さデショウ。と笑った。おもちゃを買っても、かわいい服を着ても、ケタケタと笑い、くるくると回った。まるでそれが現実ではなくてアニメのワンシーンかのようにきれいに幻想的に回っていた。目もニコニコと光も柔らかくくるくると回り、楽しげに笑う。それが現実の中に輝き、愛おしく小さな光をまといながら生きていた。現実というと変化があった。私も家庭を持ったのだ、現実と虚構、私は二つのものを持ったといえた。こっちの家族は居心地が悪く、何を食べても味がせず、時間だけが過ぎていくような気がする。あんなに口うるさく家族がと言っていたのに。美辞麗句というのは並べるのは簡単だが実践するのはなんと難しいことか。と思った。しかし、一歩でも近づきたい、進みたいと思う。それは我々、人間にしかできないことである。と思うからだ。一時の美辞麗句や美しい言葉を言い誰かを励ましたり鼓舞したりする人は狡いと思う。しかし、そのアニメのような作り物のような言葉で励まされる人もいるのは事実だ。作り物、虚構、フィクションも現実にあるのだ。そう思うと、食べ物味もしてきた。この間、湖が見える城の天守閣から湖をみた。美しかった。だから、信長を切らねばならない。あの日もこの日もどの日もかわいく美しいそれは嘘ではない。きちょう様と過ごした日々も嘘ではない。で、あるから苦しいのだ。であるからつらいのだ。思えば、私は武門、そもそも武士、武士とは将軍様をお守りするのが役目、これで良い。これで良いのだ。と自分に言い聞かせるのも昔から得意だ。さあ、刀を振り上げ。守るものを守り、打ち捨てるものを打ち捨てるのだ。さぁ、刀を下ろせ。これで終わる。そんなとき、信長に言われた。「光秀のユメって何。」と聞かれた。私は当惑した。私は出世し、小さな村の村長から城持ち大名へと出世した。そんなことも分からない。とは嘆かわしい事だ。と思った。しかし、その先から言葉は出なかった。信長は笑った。そして、「はい。タイムスリップの魔法。」といった。タイムスリップか。そんなものはできないな。耳の痛い話だ。と思った。なぜ、タイムスリップができないかというと、それは嘘になるからだ。その人との思い出や忘れられないかけがえのない経験などがそこにあるからだ。信長やきちょうさまと過ごした時間や思い出がそこにあるからだ。そう思う私は父だからだ。と思った。そう思うと勇気がわいた。しかし、涙も出た。クリスマスに思いがけないものを学べた。雪の深い温かな夜だった。信長がくるくると楽しげにキラキラと光をまとって回っている楽しい夜だった。

お題「#買って良かった2020