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父さん。雪見酒。

父さん。雪見酒。 向田邦子先生 アナと雪の女王をみて~

アナと雪の女王を見ました。エルサが自分の運命に気づいて魔法の神様の世界に行くことを決めるまでのお話でした。アナはそんな姉を影で支える人間になることを決めたようです。僕の好きなもののけ姫の話のアシタカとサンのように森と共に生きることを生きていくそうです。人は普段生きているとき闇が近く迫っている事を知りません。ふとした時にそれに気が付きます。其れに飲まれてしまうこともあるかもしれません。しかし、そこに誰かがいれば闇から逃れることが逃れなくとも向き合うことができます。背負うこともできます。1の時からエルサは悩んできました。けれども2で悩みが晴れたのです。自分に命題があると分かったからです。それから自分が冒険を求めていると分かったからです。しかし、一人では自分の出生にまつわる事、自分の家の歴史までしか知ることができませんでした。アナが森のダムを壊したため、森の神に安らぎが戻り、エルサは5番目の神となりました。

アナがいたからエランダール国に光が戻り、人々は国に戻ることができました。エルサは5番目の神様として神の世界で生きることを思い、アナはエランダール国の女王として生きることを決めました。僕はここに姉妹の絆を分かりあっている二人の心をかいまみました。姉妹の仁義もあるのだと思いました。その仁義がこれからもエランダール国と森の心を守ってくれることでしょう。エルサという神の首は森に帰りました。アナの手によって。そしてアナは姉が神の世界に生きるなら私は人の世界に生きると決意をしてクリストフとオラフと暮らし始めます。二人は神と人の世界。森と人の世に生きることを決めたのです。また、この話はエルサの悩みと何でもやってみたいという心が神の世界の扉を開くまでの話でもあります。小さなころから魔法や神話の話を聞かされ母親も魔法使いなのであればその思いを止めることは誰にもできることはできません。少しでも門をたたきたいと思ったのであれば挑戦するべきです。でも、エルサだけでは神の世界の事は知れても誠の道は分かりません。誠の道とは愛を知る事。自分の醜さを知る事。そして何があっても己を貫くという気持ちです。それを持っていたのはエルサではなくアナ出会ったと思います。アナがいなければエルサは5番目の神になれなかったと思います。門をたたくのもだれかの助け、導きが必要な時があるのです。それが人ではないものになるという引導であったとしてもそれがアナという血を分けた妹の手製の引導であるなら喜んで受け取ることがエルサはできると思います。この関係は向田邦子先生の阿修羅が如くの四姉妹にもいえると思います。血を分けたかけがえのない人のものであればどんなものでも受け取ることができるという事です。それが意にそわないものでも二人の仁義が四人が分かりあっていればどんなことでもできるという事です。家族であっても、いつも一緒にいる。分かりあうという事はできません。そういう時には愛ではなく分かりあう事。相手が相手を慈しむという事それが大切なのだということをこの映画は教えてくれました。