ブログもの真似主 nezuzyouziのブログ

ブログものまね主 ねずじょうじです。よろしくお願いします

今日のよかったこと

今日はぽっぽ子さんの歌が良かったとファンの方が書いた絵を見て僕も良いと思いました。

今日はヤンザーギさんのツイートを見ました。嬉しかったです。

それからいつも見ている人がたくさんツイートしたり、絵や写真をたくさん載せていたのでそれを見て大変よかったです。

 僕も楽しいしもちになりました。わー

やはり僕は楽しいことが好きなのだと思いました。みんなで声を掛け合うことも良いことなのだと思いました。

ごく普通の人なんていない。鎌倉殿の13人

俺は思うことがある。先輩の家は少し変わっていると思う。もっと、俺のようにごろごしたり、歌を聞いたり、美味しいクレープを食べに行ったり、すればいいのにと思う。この間、誘っても、俺には漫画があるし、ミーの世話もある。あいつ口だけだ。まだまだ、子供だ。と笑っていた。何かを頑張っているのは立派なことだと思う。俺もバトミントンを頑張っているから。それに活動だって一人でやってきた。師匠がいなくなって、師匠なんて元々いねえみたいなもんだ。というけど、一人で広げてきた。だから、オフみたいなものも必要だと思った。先輩の家は変わっている。みんな、夢があってギラギラしている。それがいい家族の証だ。というが俺にはわからない。俺の家が普通すぎるのかも、俺が普通すぎるかもしれないと思った。けど、先輩の家を見ていると必ず自分の父さんに気持ちが伝わる家、兄弟と喧嘩しても、わかり合ってるよな。行くぜ。で済むみたいな所がると思う。おれはなかなか、父さんにものを言えなかったり。妹におもちゃとか勝手に使われるし、あんまりいい思いはしてない。だからそこはおれの家よりいいのかなと思う。でも、先輩の家は昔から刀が身近にある。命と命のやり取りをしている。それが当たり前にある家だからそうなのかもしれないけど、生活の中にそんなものがある家はおかしいと思う。だけど、この間、先輩にその話をしたら、お前の家にもあるはずだ。と言われた。考えてみると、おれの家にはバトミントンがあった。家族もおれのことを応援してくれて高校もバトミントンの強いところにしてくれた。妹もおれの真似をしている。そう言われると形が違うだけなのかと思った。おれの家にバトミントンがあるように先輩の家の中には刀がある。おれにはよくわからないけどどの家にも形があるのかもしない。それぞれの形が、そう思うとおれはごく普通の家に生まれたと思っていた。そう考えるとごく普通じゃないと思えた。ごく普通の家なんてない。みんな形がある。じゃあ、人間は、この間、人は十人十色ですという話を聞いた。おれは違うよな。と思ったがそう思うとごく普通の人なんていないんだ。ごく普通の家のごく普通の人なんていない。だから、もっと、自分を大切にした方がいい。もっと、ガッツを持ったっていい。友達が絵やらバスケットを頑張っている。おれもバトミントンを頑張りたいと思う。そいつらが、なんだか、キラキラして見える時が、まあまあ、たまにある。さっきの先輩の話を聞くと心がホッとして少し立ち止まれる。おれだって、ヒーローだよな。と思える。そう思うということはいい加減なことをしたらいけないとか、きちんと美化運動とか、頑張らなきゃいけないってことの裏返しでもある。みんな、ごく普通じゃない。だから、ヒーローになれる。だから、頑張ろう。とおもう。そうおもうと、先輩を助けたいという気持ちは強くなる、難しい問題だとおもう。ごく普通の人なんていないなら、先輩はもっと、幸せになっていいとおもうし、なんとかならないのかとおもう。難しい問題だ。難しい問題を考えることも勉強することの醍醐味だとこの間、読んだ。勉強のことを考えると頭をスカッとさせるために走りたくなる。よくできているなと思う。

魔法使いの旅 ウィッチウォッチ ドンブラザーズ 鎌倉殿の13人

冒険には犠牲はつきものだ。もっと楽しもうぜ。みんなで、父さんは俺たちをみくびっているぜ。俺たちも成長してるんだぜ。人は成長すんだぜ。知ってるか?父さんと戦えて嬉しいんだ。この間、後輩に言われたんだ。先輩は普通の家族もなにもしらねえって俺はずっと北条にいた、でも今は違う、仲間やドンブラザーズ、ウィッチウォッチ、そして、おっさん、ヒキサン、義経、みんなと出会ってここまできた。もう、むかしのとれもはちがうんだ。それにみーだって、もう立派だ。俺は父さんが好きだ。だけど、なんでも昔のままで閉じ込めておこうとする父さんは嫌いだ。俺はゲームを買いに行ったり、焼肉したりする父さんが好きだ。俺が義経を助けに行った時、手を尽くしてくれた、優しい父さんが好きだ。けど、今の父さんは嫌いだ。俺の悪党のことや部活動や学校のこと、さらに後輩や三浦やみーのことまで、閉じ込めようとする。そのせいで後輩に心配される。人様にまで、そんなこと、思わせる父さん。そんなのは嫌いだ。俺は宇宙に行く。それにミーだって守りたい。だから、父さんを倒さなきゃならない。人は成長する。ダメな時には支え合って、乗り越えていく、それがドンブラザーズとの約束だ。ミーも悩むことじゃない。俺が、宇宙はみんなを連れていく。毎日、毎日、頑張っていくんだ。明日も、明後日も、昔に囚われるな。今を生きるんだ。

みーちゃんへ  鎌倉殿の13人 

明日、西の方へ行きます。これからは一人でアニメを見てください。感想も他の人と話してください。新海誠のアニメ、良かったよね。それも一人で見に行ってね。西に行ったら、なかなか、帰って来れないから、別に死ぬわけじゃないのよ。これがうまく行ったら、みんなゆたかになれるの。ここで、家族の愛がと言ったら、それは甘いわよ。そうでしょ、みーちゃん、みーちゃんだって、家族だよ。って思ってました。だから、みんなで仲良くね。無理か、それが嫌だもんね。みーはみーらしく、それでいいもんね。だから、私は私らしく、いくよ。なんだか、もう会えないみたいね。ルパンの次元みたいにはいかないかもね。みーちゃんはそれができてるよ。わたしは、笑ってるしかできないもん。そこがいいと思います。それも、甘いかな?雨に気をつけてからだをどうか、冷やさぬように、次元大介さま。また、どこかで、ね。会えるわよ。きっと、それをやってのけるのが、りゅうとそばかすの姫よ。お兄ちゃんは戦い、わたしは他のことをする。みーは本を読んだり、アニメを見たりして勉強してください。そして、いつか、育てのお母さんにも、褒められるようないい子にね。なってください。それが、姫の務めです。悲しい夜はあなたに届けるように歌います。次元大介に、みーちゃんに届くように、わたしのこと、忘れないでね。また、新海誠、見に行きたいなあ。やっぱり、次元もイケメンだしね。お兄ちゃんよりね。そうだよね。私、離れたくないな。寂しかったら道端のお地蔵様にでも話しかけてみてね。また、映画、行きたいね。また、一緒に、ルパンみたいね。また、いつか、あえるといいな。みーちゃん。おーい。次元。ふふふ。また、ね。

              あーより

 

美術の声真似 

今日は博物館へ行ってきました。 平安時代の石仏を見てきました。 平安期や鎌倉期の美術や石仏は素敵だなと感じました。 それから掛け軸も色が褪せていましたが、当時は煌びやかであったそうです。それを聞いた時に僕は今残っている資料は古くて破れているところを補修したりしているのですが、その当時は美しいものであったので、それは僕がもっている本やフィギュアと同じなのだと感じました。その時代の新しいものが今に受け継がれて古くなっている。古いものと新しいものというのはつながっているのだなと感じました。古い時代から今に受け継がれているもの。今からまた受け継がれていくもの。今から磨かれていくもの。そのように考えると僕の趣味に似ている。同じシンパシーがある。そういうふうに考えると今回の企画展は歴史に関するものなのですが、いつにも増してみじか、僕の生活にちかいなと思いました。博物館へ久しぶりに行けて良かったです。空調が効いていて、過ごしやすかったです。僕は歴史が好きです。日本の歴史、僕の住んでいるところの歴史が好きです。 僕は声真似が好きです。こうやって伝統や工芸に触れると僕が普段行っている趣味の事、ブログや声真似の事をもっと知りたくなっていきますね。

博物館へ行ってきました。

今日は博物館へ行ってきました。

平安時代の石仏を見てきました。

平安期や鎌倉期の美術や石仏は素敵だなと感じました。

それから掛け軸も色が褪せていましたが、当時は煌びやかであったそうです。それを聞いた時に僕は今残っている資料は古くて破れているところを補修したりしているのですが、その当時は美しいものであったので、それは僕がもっている本やフィギュアと同じなのだと感じました。その時代の新しいものが今に受け継がれて古くなっている。古いものと新しいものというのはつながっているのだなと感じました。古い時代から今に受け継がれているもの。今からまた受け継がれていくもの。今から磨かれていくもの。そのように考えると僕の趣味に似ている。同じシンパシーがある。そういうふうに考えると今回の企画展は歴史に関するものなのですが、いつにも増してみじか、僕の生活にちかいなと思いました。博物館へ久しぶりに行けて良かったです。空調が効いていて、過ごしやすかったです。僕は歴史が好きです。日本の歴史、僕の住んでいるところの歴史が好きです。

すずめの戸締り 鎌倉殿の13人

この間、宮城県の田園風景の写真を見た。それはどこまでも、続いていて、エメラルドの太い線がきらきらと輝いているようだった。こんなふうに、お米が取れるんだなと思った。そういえば、前の家もこんなところだったような気がする。兄妹でアニメのDVDとかブルーレイを見たりしてた。田舎だって言われたけど、お店もたくさんあったから田舎だと思ったことなかった。でも、お兄ちゃんがお兄ちゃんずらしてるのが嫌だった。私はそもそも一人っ子なの。だって、わたし、お兄ちゃんとあーと顔似てないし、それに、あーみたいにお子様アニメが好きじゃないし、田舎が好きだけど、あーは嫌いだった。新海誠さんの方が好きだった。勝手に好き勝手に押し付けられたものより、自由に生きていいんだって、おもえたから。天気の子とか、よかったから、あれ、あんたたちも見なさいよ。と思った。だから、あーがあんなことになった時、あまいからこんなことになるのと思った。新海誠さんはいい。絵もきらきらしてるし、いい。悲しいものがないなんて嘘よ。みんな、悲しいもの、怖いもの。醜いものを隠して生きているの。それをおしえてくれる。それを思い出させてくれる。わたしは人生はとっても大きい本だと思う。大きすぎて、どこを読んでるか、わからなくなるくらいの。だから、時々、読んでいる私たちはしおりを挟む、必要があるの。それがわたしにとっては新海誠さんのアニメだった。わたしにもっと教えて。きらきらしたものを。あのバカたちが知らないものを。わたし、一人なの。兄妹役の人はいるけど、一人なのよ。わたしのママは一人だけ。パパも一人だけ。お兄ちゃんも、あれ、おかしいな。妹もいたわね。でもあの人たちはあくまで役柄なの、その人ではないのよ。だから人は本を読むんだわ。自分が今どこにいるのか、確認するために、心の戸締りをするのよ。宮城県の田んぼの写真みたいに、緑の碧のこころを忘れないために、今、自分がどこにいるのかをね、確認するのよ。わかった?