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ごく普通の人なんていない。鎌倉殿の13人

俺は思うことがある。先輩の家は少し変わっていると思う。もっと、俺のようにごろごしたり、歌を聞いたり、美味しいクレープを食べに行ったり、すればいいのにと思う。この間、誘っても、俺には漫画があるし、ミーの世話もある。あいつ口だけだ。まだまだ、子供だ。と笑っていた。何かを頑張っているのは立派なことだと思う。俺もバトミントンを頑張っているから。それに活動だって一人でやってきた。師匠がいなくなって、師匠なんて元々いねえみたいなもんだ。というけど、一人で広げてきた。だから、オフみたいなものも必要だと思った。先輩の家は変わっている。みんな、夢があってギラギラしている。それがいい家族の証だ。というが俺にはわからない。俺の家が普通すぎるのかも、俺が普通すぎるかもしれないと思った。けど、先輩の家を見ていると必ず自分の父さんに気持ちが伝わる家、兄弟と喧嘩しても、わかり合ってるよな。行くぜ。で済むみたいな所がると思う。おれはなかなか、父さんにものを言えなかったり。妹におもちゃとか勝手に使われるし、あんまりいい思いはしてない。だからそこはおれの家よりいいのかなと思う。でも、先輩の家は昔から刀が身近にある。命と命のやり取りをしている。それが当たり前にある家だからそうなのかもしれないけど、生活の中にそんなものがある家はおかしいと思う。だけど、この間、先輩にその話をしたら、お前の家にもあるはずだ。と言われた。考えてみると、おれの家にはバトミントンがあった。家族もおれのことを応援してくれて高校もバトミントンの強いところにしてくれた。妹もおれの真似をしている。そう言われると形が違うだけなのかと思った。おれの家にバトミントンがあるように先輩の家の中には刀がある。おれにはよくわからないけどどの家にも形があるのかもしない。それぞれの形が、そう思うとおれはごく普通の家に生まれたと思っていた。そう考えるとごく普通じゃないと思えた。ごく普通の家なんてない。みんな形がある。じゃあ、人間は、この間、人は十人十色ですという話を聞いた。おれは違うよな。と思ったがそう思うとごく普通の人なんていないんだ。ごく普通の家のごく普通の人なんていない。だから、もっと、自分を大切にした方がいい。もっと、ガッツを持ったっていい。友達が絵やらバスケットを頑張っている。おれもバトミントンを頑張りたいと思う。そいつらが、なんだか、キラキラして見える時が、まあまあ、たまにある。さっきの先輩の話を聞くと心がホッとして少し立ち止まれる。おれだって、ヒーローだよな。と思える。そう思うということはいい加減なことをしたらいけないとか、きちんと美化運動とか、頑張らなきゃいけないってことの裏返しでもある。みんな、ごく普通じゃない。だから、ヒーローになれる。だから、頑張ろう。とおもう。そうおもうと、先輩を助けたいという気持ちは強くなる、難しい問題だとおもう。ごく普通の人なんていないなら、先輩はもっと、幸せになっていいとおもうし、なんとかならないのかとおもう。難しい問題だ。難しい問題を考えることも勉強することの醍醐味だとこの間、読んだ。勉強のことを考えると頭をスカッとさせるために走りたくなる。よくできているなと思う。