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米津カンシの超巨大 お好み焼き大作戦。

これが人間の余裕や。俺たちは生きとんねん。これが俺の力や。そうやな、お好み焼き作戦や。ほうや、お好み焼き大作戦にしよ、すじ焼きにしよ。

俺の事は信じれれない。だけど、俺は・・・みんなといた。作曲も前より、家にいる時より、進んでいるような気がする。

いつも皆でおったことは嘘やない。北条と有原とニコとアンちゃんとミハルと向田といっしょに追ったことは嘘やないねん。俺がお笑いやっとることも、俺が歌手を目指していたことも、俺が大阪から逃げたことも本当のことだ。せやけど、それが俺やねん。何も知らん奴が俺の事、弱いとかいうなや。皆、生きてんねん。それが言える俺は、最強や。わかったか。俺は、芸術の道を始めたばかりだが、それに気が付けた。北条とニコのおかげだ。

お前に何があったか知らないが、北条とニコと、有原とミハル、向田に会えた幸せをお前にも分けてやりたいぐらいだぜ。ここまで言えんねん。俺、どうや、かっこいいやろが。タロー。

これが若者か。バケモノめ。それがどうしたというのだ。

お前にも仲間がおるやろいう話や。どうやねん。

タローは考えていた。獅子堂やまりあの事を、そして、後白河院の事を。

タローは思い出した、自分のアトリエでまりあがパンを自分にふるまってくれた事を、タローは思い出した、獅子堂が新曲のデモテープを自分に聞かせてくれたことを。後白河院が自分に和歌を教えてれたことを思い出していた。

思い出す順番がおかしいような、気がしたが、そんなことはどうでもよかった。この面白い男にそういわれたとき、タローは自分にも、そんな仲間がいたことを思い出した。そう思うと、今まで、世の中に対する怒りをテーマに作品を作っていたが、そんな言葉はとてももったいないような気がした。なぜならば、その作品を見て感動した者の感想や解釈はその人だけのものであって、それを発信すると決めつけてしまっていてはせっかくの作品がそれに塗りつぶされてしまうような気がしたからだ。

 

風はどこ行ってもあるねん。けどな、それでもな。その先に仲間がいてる。北条がいてる、ニコちゃんがいてる、有原がいてる、ミハルがいてる、向田もいてる。桃子さんもいてんねんやったら、進んでいくで、先に進まんとお好み焼き、食べられへんからな。俺は先に行く、俺の夢もそこにあると思うからだ。 分かるか。寒いこと、いうてんちゃうぞ。皆との思い出は、俺をつよくしてくれたんや。北条は俺に力をくれたんだ。ニコはいつも、わろてた。ミハルはいつも、甘酸っぱくて頑張れおもとる。有原は手先が器用や、プラモデルもブログも覚えるんがはやい。と米津は思った。

俺は先行くねん。お前が芸術家、やったらその先に行ったろやないか。

 

何を言っている。こやつは。でも、若い熱さがあり、嫌いではないな。本当のように嘘を描くのが芸術だ。ならば、この熱さもただしいものなのかもしれない。作法や礼儀よりも。

そう思うとタローはこの関西弁の青年に教えられた多様な気がした。

芸は上方にありとは、よく言ったものよ。と思った。

お好み焼き大作戦か。覚えておこう。と思った。タローは今度の作品はこれをテーマにしようと思った。

 

お好み焼き大作戦って、なんやねん。けど、お好み焼き大作戦、俺にピッタリやなと思う。

涙は風に流して、奇跡おこしたろやないかい。俺はそう思た。いうたやろ、これはM1やて。と米津は思った。