ええ、私は、ですね。身動きってな。取れませんで。歩くのも、大変で、ございまして、いつも、車いす。あ、あ、舶来の車のついた椅子でございます。車麩じゃ、ござんさんで、
車椅子と、車麩って、響きが似てますね、
運命の巡り合わせで、ございましょうか?
ああ、車麩も、似ますね。たけのこと、一緒に、出しに入れて煮ます。おや、煮物も、似たもの。音が、同じで、ございます。
車椅子から始まって、それが、車麩になって、それが、煮物になって、似たものになりました。
ああ、同じ音。同じ言葉で、ございます。
辛国のことわざ。古い故事に、我ら生まれた時は、違えども、死にたる時は、同じ時を願わん。とか、なんとか、ございますが、この言葉たちも、何か、意味ありげな何かの運命によって、紐付けられているのでしょうね。
ああ、舶来の言葉に運命の赤い糸というのも、ございます。こちらも、また、後、紐でございます。何かを意味を持って、行う事を意図と、申します。こちらも、また、糸でございます。
ということは、運命の赤い糸は、運命の赤い意図と、いうことでございますね。
はて、運命の赤い意図、なにやら、その、秘め事のようで、ござい・・・ます。
とまあ、バカな話も、ここまでで、つまるところ、話がつまるってのは、噺家にとっちゃ、不吉なものでございますが。私は、この度、この病床より、テープをお送りしましたのは、何より、私の話を、春風亭の師匠、洛中さんに、聞いてもらうためで、ございます。
私は、自慢じゃありませんが、体も、弱く、歩くことも、ままなりません。
宇宙病ってのは、難儀な病気で、ございます。
けれども、笑いを愛する心。落語を愛する心というのは、誰にも、負けやしませんで。
自慢じゃないのに、自慢とは、いかがなものでしょう。しかし、いつ見ても、病は、いかがなものにも、なりはしません。であるなば、この命、落語に埋めても、かまいは、しません。
とまあ、と言いましても、このテープ自体が、構われるかっていうと、また、違うんでしょうが。今日は、宇宙病ない言ってので、生姜を湯に溶かして飲みたいと思います。
しかし、このテープが、湯に溶かされ、水に流されては、たまったものではありません。
これも、一つの縁と思って、よくぞ、ご贔屓に。
病の床から、一席、楽しいお話を一つ。
と言っても、僕は、おめかけさんでも、芸者さんでも、ありません。一つ言えることは、僕と、いや、私を妾にしてということ。
どうぞ、ご贔屓に、僕は、病人で、ございまして、いつも、トコにフセッテ、お待ちしておりますので。
よろしくお願いします。生姜湯ができましたよ。のみませんか。?おや、僕は、病人、飲ましてもらう方では、いやあ、参ったなあ。
テープは、ここで終わった。
テープが、終わるとき、女性の声がした。
介助をしている看護婦さん。介助員さんの声だろうか?その人の声がすると、テープは、がちゃんと、音がして、切れた。
録音が、解除されたようだ。
この話が、春風亭生姜の誕生であった。
このテープを聴いた時、洛中は、嬉しそうにしていたという。
それを見て、もみじは、何か、たのしいことあったのかね。と、思っていた。