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さよならを君に。 麒麟が来る。

さよならを君に。麒麟が来る。

キミハ向き合うときなんだ。カヲルに言われただからショックで寝込んだ。甘やかしのかどわかし、それが自分だといわれた気がしたから嫌だった。自分の事を半分も知らない奴に、よく似た話し方をしてるのにミステリアスな雰囲気でなんやかやで周りに人がいて澄んだ声を持っている自分の声をもっているだから処断したくなった。だけど、シンジ君に褒められたときうれしかった。アスカがいて、レイがいて、エヴァもいる。後、マリも。今がなんとなく好きだった。今が素敵だった。しかし、この裏側では戦が走っている。光秀は言ったそうだもう。これは信長が決めた事です。夢に向かって当初、彼女は田村ゆかりさんが声をあてるような大人物になりたかった。魔法のパワーもつけていきたいとおっしゃった。魔法のパワーがついいた事。機内一円を治めたことは、誉にございます。されど、その実、ふたを開けてみれば室町将軍派閥を止められず、石山本願寺も泥沼状態で半ば和睦状態、戦略的勝利などと聞こえはいいですが、洛中の市井のものたちも抑えられない始末。尽力されているのは伝わりましが信長様は王道も仁も持ち合わせていらっしゃらない状態です。ここまで、よく桶狭間から戦ってくださいました。武田氏を破り、室町将軍を京から追い出し、幕府の役人の賄賂政治を改革し新しき世のために尽力されました。我々、武門にも政治ができるということを鎌倉期以来みせつけたのです。しかし、先のどの殿よりも政がいささか下手であらせられる。気分屋で敵を作り、良いものは何でも取り入れるが面倒見が悪く武が悪いとなると簡単におきりすてなさる。信長公は徳がありません。徳とは何も仏法に明るいとか武芸に優れているということではないのです。大事なのはそれを人に届けるということなのです。信長様も人の心に明るくなれば名君となったでしょう。信長も見たでしょう。いろいろな人がいるのです。水が変わればそこに住んでいる人も変わるのです。しかし、あなたの人柄を知らず、見てくれはいいですが値踏みし、上澄みだけをすくうようなものもいるのです。あなたは、どちらを見ましたか。自分に波長が合う人は水が会う人は馬が合う人は見つかりましたか?私は、あなたを止めません。朽ち果てるのも花を咲かせるのもあなた次第です。どちらの方と出会い、どう生きるか。しかし、どちらを選んでも学べるように生きなければなりません。それが大きな夢への主題への近道です。喜びより怒りのほうが流れやすい毎日ではありますが。これをあなたの閻魔大王からの閻魔状だと思いお納めください。あなたの後ろには徳川様、羽柴様が追ってきておられます。あのサルと地方の地侍と笑っておられたあのものたちです。あのものの足は各々早いです。お気を付けください。エヴァのシンジ殿、アスカ殿、レイ殿、そして、カヲル殿にうつつを抜かしている好きに味方が誰一人といなくなってしまいますぞ。そこから見える景色はどうですか。良き景色ですか。

 そこまで読んだとき、信長はひどいと思い破り捨てたなぜなら、初めて自分の力で切りいらいた大地だったからだ。それを上から諭すように言わないでほしかった。おかげで、こっちへ来てからシンジやアスカ、レイやカヲルと出会い新しい地平が開けたと思ったからであった。怒っている信長にカヲルが一言、「どうするの。」どこか異国の言葉にもにたその響きに信長は「モウ決まっているデショウ」といった。全軍で光秀を討つ、光秀を討ち何としてでも織田家を織田大府とするために立ち上がりたいと思った。シンジは戸惑ったそんなことのためにエヴァに乗りたくないと思った。アスカも嫌だと思った。しかし、他人の友情ごっこだか、家族ごっこには付き合いたくなかった。ここで終わるならもう終わらせようと思った。レイは不思議だった。信長がなぜそんなに怒っているのか。分からなかった良くも悪くもその心のざわめきをざわめきの名前を知りたかった。レイはそれと同時にこの好奇心の名前、知りたいと思った気持ちの名前も知りたかった。そのためなら乗ってみてもいいかも知れないと思った。マリは「青春だニャァ。」と思った。遠い日にどこかに置いてきてしまった気持ちを感じたのだった。遠い昔と言っても、この信長、光秀の時代からすればまだまだ新しいのだが、70年代と80年代の半ば、遅くとも80年代中頃のあの日の記憶だ。しかし、マリにはそれがあるのかないのかも、それが自分の記憶なのかどうかも、わからなかった。テレビや映画でなんとなく見たものを自分の記憶だと勘違いしているのかもしれない。子供のころに見たものを自分の実体験だと思い込むのは子供時代にはよくある事だ。しかし、今、マリは不思議なことに子供だ。それがある年代だ。あるいはそれが終わり、大人へと変わっていこうとする年代。それがあって当然だ。それが急に生々しくとも何やらループ、繰り返しているように感じられてもそれは何ら不思議ではない。それがマリの年頃、だからだ。マリがそう思っているとカヲルが信長に「もう、ソコまでいったなら、やることは一つだね。」といった。

信長は返した。「敵は戦国にあり」と。こう答えるのが織田信長だ。こう答えるのが織田信長だったのだ。人間五十年。彼は変わっていなかった。それを革新者とみるか大うつけとみるかは二手に分かれる。これが信長の不器用さともいえるだろう。カヲルがにこっと冷たく笑った。