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 呪術廻戦 麒麟が来る。

 呪術廻戦 麒麟が来る。

光秀は、幕政の改革に乗り出した。織田信長と手を取り合って大きな国を作り出すことに乗り出したのだ。古い慣習を配し、新しい幕府を担っていくということで一致したはずだった。しかし、幕府の閣僚たちを説得することがなかなかできないでいた。その中の一人が摂津春門である彼は先々代から続く室町幕府、たたき上げの官僚であった。彼は彼らが、祭りごとの場に口を出し、政のプロセスを無視することに我慢がならなかった。また、仏を重んじるという基本構造を無視するというのも納得がいかなかった。彼は役人の中では春門先生の名で通っていた。将軍からの信頼も厚かった。しかし、反面、金のうわさが絶えず、仕事ができるが、難ありという評価であった。

「夢物語もよいが、法を重んぜよ。政いうものは唐の時代より、学のあるものが治めるのだ。武家など、ごろつきだ、北面の武士に何ができるのだ。その手を血で汚し、土地を奪い、成り上がった豪族ではないか。今、目にものを見せてやる。その腕を知をもってもいでやろうぞ。その上え弱きものを救う。これが革新である。維新である。

 光秀としてはこの仏、という言葉の裏が見えてならなかった。知恵や勇気で切り開くことの大切さをなのはから、いやというほど学んだ。自分の愚かさもいつもいらいらしていることも分かった。しかし、母はいつもお前には土岐の血が流れているんだよ。と聞かせてくれた。母の手は声は温かかった。そのたびにこれでよいのかと思った岐阜県の小さな町に住んでいて、自分が町に自然に飲まれていくような気がしてならなかった。それを変えてくれたのがなのはだった。勇気や知恵も見て取れた。こうすれば夢に近づけるんだ。このような心持でいれば一歩進む力が得られると分かった。仲間といるのは楽しかった。しかし、仲間という言葉に潜む、危うさも感じ始めた。信長は夢のために進んでいる。それは良いが夢のために大切なものを忘れているような気がした。だからと言って春門のように仏、仏と言って仏の教えの中に事あるごとに探そうとすることにもきな臭さがある気がしてならなかった。俺はこうだといえない。俺はいらいらする。自分の夢につき住んでいくのを見るとイラつく。しかし、反面、そこまでとげとげしくもなれない。おこがましいかもしれないが頑張ってと応援したくなる。そして、俺も何かをなそうと思う。そのようなことが平らな世を作ると思うようになった。俺はこれが正しいか、知りたい。俺はこの思いの先に今いるここ。この場の先に何があるのか知りたい。そう思った。ということはこの答えの行き先を見るには春門を倒さねばならないと思った。倒すとはなにやらヒロイックな言葉だと思った。ここまで考えると腹が減った。コンビニがこの辺にあったな。そう思った。

 あーあ。らっしゃせ~。あーあ。だるいな。早く帰って声真似だぜ。まったく。今日も目当ての子がいりゃいいけどな。歌もいいよな。まったくよ。

 あいつ、また、あくびしとんな。もうくびじゃい。なにしとんなら。

これを頂けるかな。高貴な役人もここを利用しているそうである。あちらには武家である。

 声真似青年は気が付いた。一触即発だろ。ダメだろコレ~。ほの子ちゃん助けて~。生きて、俺、聞けるかな。声真似。あー。だめだろこれ~。ほの子ちゃんさー。

二人の笑顔が引きつっていくのが分かった。ああ、これはこれは光秀殿。春門様とお互いに名前を呼びあった。先輩はなまりを抜いて、「順番にお願いします。ソーシャルディスタンスでお願いします。」とよそよそしく言うだけで事の重大さに気が付いていなかった。声真似配信、聞ければいいな。ああ。助けてほしい。

 そこには誰もいなかった。何もなかった。ただ、乾いた空気がそこにあった。しかし、信じれば道は開ける。なのはも声真似もそこにある。実はこちら側のほうが作り物なのかもしれない。同じものもどうみるかである。坊主のようなことをいうのもここまでにしたい。しかし、坊主というのはそれだけ社会に溶け込んでいる。生きるために得意なことを伸ばして生きるために戦う人もあろう。足利将軍もそうである。声真似が聞きたくてたまらない青年もまた一つである。岐阜県の街に埋もれたくない彼もまた一つだ。漫画のキャラクターや超人のような人たちにも汗が流れ、漫画のきらびやかな世界の陰に漫画家の諸先生の苦心がある。漫画の中にある血やあせもあろうということである。

 

 麒麟が来る面白いです。ヒロイックの中に流れる汗のようなものを感じます。来週も見ます。

麒麟が来る。BTS(防弾少年団)をBGMに声真似配信。

麒麟が来る。BTS防弾少年団)をBGMに声真似配信。

 信長は、室町幕府を救済するために室町幕府の後ろ盾となることを了承した。しかし、これは京都の公家、政界に織田信長と言う武家が介入するという事を意味していた、古くは平清盛と言う男がいたその男も京都の公家や役人たちを抑え、関西をこえ、関東を支配しよとしたが源家やその縁のある家の北条氏に敗れ、平氏の夢は海の藻屑と消えた。その頃より、幾年、織田信長と言う男もまたそこにたった。しかし、平清盛と違い、彼は頭が切れる。いや、純粋ともうそうか。

「ふふ。将軍様。おまもりしまーす。いひひ。だって、たすけてほしいんでしょう。なら、助けよう。それが私の魔法だよ。」と笑った。無邪気に過ごすときはオレンジ色の衣だ。あの子のような元気な色だ。しかし、フォーマルな時は虎のような黄色の衣に変わる。現実を生き、闇に潜む一筋の光を探す勇者のような都会の夜景のようなモダンでシックだがどこか、寂しげで水道の匂いがする。それが我らの生きる世界だ。と言わんばりのシックな黄色。その二つが同居している。それが何を考えているかわからない。それがまた人間臭い。彼は人か、アニメの人物か、はたまた声優か。そんなことは・・何であれ、彼は手は抜かぬであろう。彼はプロだから。武家と言う刀を振るう事をマイクの前で演ずることを許された男。先の清盛のことも知っているか。知らないかは分からないが彼は要領に入れているであろう。

ここにひとりの中年の男がいた。名を春門といった。この男は室町幕府の官僚で、今日の寺社にも明るく、教養のある男であった。人と人の間に入り、あるものとあるものの仲を取り持つ釘のような男。仲を取り持つものと言うのは柔和な人であると思われるが彼は腹に据えかねていた。いつまで人は武門によって収められるのか。学問を収め、金や銀を持ち、寺社に明るく徳の高いものが納めるべきだと彼は思った。この世を平らかにするには芯が必要だ。何物にも負けぬ芯が。それがあのものにはないと考えた。腹が減った、コンビニで弁当を買った。若いバイトがいた。ガムを噛んでいる。スマホでゲームをしている徳のないものだからそんなことができるのが学を修めよ。法を重んぜよ。人は法によって心によって収められる。バイトよ。

 なんだ。このおっさん。こんだけしかかわねえのか。あーあ。早く帰って声真似きこうっと。だるいな。もう、秋も近いよな。今度の休みは冬物だな。ユニクロいこうっとだるいな。

 こいつまた、だらだらしとりゃすな。名古屋歩けんようにしてやるでね。みとりゃすや。オラ。

 あいつ、何語だよ。まったく。よう。

 ああ。仕事だ。嘆かわしい事だ。

 

これからはこの地は我らが治める。将軍様とともに仏の御心にあらず、将軍の御心において治める。仏はこの刀の銀にこそ宿る。仏など、恐れるに足らず、この稲もこの水も子の魚も人の手により、馳走となった。これが何よりの証明である。仏は手にこそ宿る。鋼にこそ、宿る。

  あーあ。かえって声真似こうっと、おお、これBTSだ。防弾少年団だよな。やったぜ。俺好きなんだよな。でも、まてよ、好きな声真似さん。いるかな。今日。

ああ、いらっしゃいませ~。

 あいさつははっきりと何回、いあやあ、わかんだ。おまさんは。

BTSすげー。聞いていて―な。声真似配信楽しみだぜ。

コンビニの外に雲が流れていた。コンビニの自動ドアが開くたびにBTSが聞こえる。青年はそれに合わせ、お目当ての声真似配信を夢見ながら仕事に精を出す。体をリズムに合わせながら心はもうBTSの一員だ。摂津春門は思った。嘆かわしいと呟いた。しかし、青年はその顔をけだるそうに見て心はBTSだった。お目当てが待っている。そう思って今日も踊った。

コンビニの外に青空が広がった。平和だった。コンビニの平和とはいろいろ言われているが、今日この瞬間も平和だった。一人の魔法使いが飛んでいた。バリアジャケットに風を感じて飛んでいた。そゆことー。と言ったような気がした。

 麒麟が来る楽しみです。中世から近世に移り変わろうとしています。僕は戦国時代にも維新があったのだな。と思いました。しかし、そこに武田氏や本願寺顕如さまなどの中世の大勢力が立ちはだかるのだな。と思いました。若者の夢や少し、ファンシーな生活も描かれるようになりました。麒麟が来る楽しいです。

 

私の名前はねずじょうじです。

私の名前はねずじょうじです。

好きな物は映画鑑賞と小説を読むことです。後はテレビドラマと映画の聞き込みです。後は勉強です。

好きな俳優はソンガンホさんです。なぜならブラックミュージックの似合う男だからです。好きな時代は戦国時代です。好きなスポーツは野球と大相撲です。好きな声優は田村ゆかりさんです。好きな小説家は向田邦子先生です。好きな食べ物はうどんです。好きな漫画キャラはなのはちゃんです。最近は声真似の方をよく見ています。ソンガンホさんは顔と動きが好きです。韓国映画は僕の小さいときに風景が似ているので良いと思います。最近は麒麟が来るが面白いです。麒麟が来るは一見、戦国物であるように見えて現代にも通じるようにまた、韓国映画のように何かになろうとしている人が何かになろうと努力し、しかし、それが報われるわけではなく、それでも、前向きに。世の悪しきものがあったとしてもそれとうまく向き合って進む、そこに向田先生のように100%いい方向に行くわけないだろという悪いつっこみが入っている。けれども、明日は始まるという意味が込められていると思います。また、織田信長が何を見ても作り物を見ているような演技をしているのが新しいと思います。染谷将太さんはウッドジョブなあなあ日常という映画でも女の子目当ての場違いな青年役をなさっていたのでそれが今回の好演につながったと思います。麒麟が来るは来週も見ます。少し、現代ものの影を感じる事が出来る。現代の若者やおじさんが戦国時代にいて、少し、うまくいっていない中でもがいているそんなものを感じます。その話だとロシアの文学、ドストエフスキーにも相通じるものがあるようにも感じます。来週も楽しみです。僕は染谷将太さんの演技も良いと思います。ずっと見ていたいです。

夢という名の名の下に。 麒麟が来る。なのはのナミダと笑顔。

夢という名の名の下に。 麒麟が来る。なのはのナミダと笑顔。

 信長は、京都で三好派閥と戦うことなったが、こまの願いもあり。武装をせずに京都へ上ることになった。織田方は戦いをしたくてうずうずしていたが光秀がまずまとめるべきは人々の心だといったので穏便に進めることとなった。こまはもう戦でなく人は見たくないといい、薬を作って診療所も開業し、うまくやっているので夢を取らないでくれという、その願いを組み、また、少し、光秀はイラっとしたが、こらえて自分の夢は戦をすることではなく平らな世を作ることだということを思い出し、こまの願いをきいたのだった。また、義昭公は僧侶でもあるため、武を用いず法によって収めようとしていた。それをきいた信長は三好派閥の仲間である六角を攻めた。三好は後ろ盾を失い戦が出来ず、向け使い事情となった。しかし、それは、光秀が信長とたもとを分かつことを意味していたのである。イライラの対象に信長が加わることを意味していたのだ。いままで、自分にはできないことも夢の人、アニメの人、リリカルなのはちゃんでやってきたが夢が出来た今は、目標ができた今は何を言われてもなびくことはなかった。光秀のまなこは今、曇りがない、あればいつもの怒りで突き進めばよい。かわいいアニメも、破り捨てればよい。なぜならば夢があるから、夢には金がかかる。金の流れも抑える。良い流れを生むために。こまのやさしさを香りにして。けれども、夢に生きる人がいるのもまた事実、虎視眈々と野望に燃える人、次の目標に飛ぶ、人がいるのもまた事実、バリアジャケットに風を感じ、にこりと笑い、魔法の杖を持つ。今は収めていても、野心があった。

「光秀には、光秀の夢があるんだ。もう、あるんだ。いつもないって言ってたよね。でも、みつかったんだ。よかったね。そんな顔もできるんだ。それが光秀の強さだよ。嘘じゃないよ。ほんとだよ。一回しか、言わないよ。今度はキョウソーだね。どっちが先か。」なのはは笑った。けれど、その声はどこかさみしそうだった。

光秀にも、夢が見つかった、だけれど、それは前から決まっていたのかもしれない。この怒りの元が夢の元であるから。また、夢で逢えたらいいな。と思った。けれども、このロマンじみたものにもイラっとした。ひぐらしがないていた。良きものも悪しきものもつれながら馬の波がつづいた。ああ、人馬がゆれる。涙にぬれる。京の空。なのはのバリアジャケットがリボンが風に揺れていた。

 ウフフ。細かい事はまた、後で。楽しみだね。

 

 染谷将太さんが良かったです。光秀の怒りが晴れる日は来るのでしょうか。

来週も楽しみです。今回、足利義昭公に謁見した時の信長の服が黄色でフェイトちゃんカラーだな。と思いました。楽しみです。フォーマルな時はフェイトちゃんで楽しい時は、なのはちゃんなのかなと思いました。使い分けているんですね。二つのフォーマルな部分と無邪気な所を併せ持っているんですね。

秋の雨の日の人の声真似 麒麟が来る。

秋の雨の日の人の声真似 麒麟が来る。

俺が働いているコンビニの先輩が俺に当たりが強い。俺の顔が気にくわないらしい。俺はただ、ここちよく仕事をしたいだけなんだ。俺はただ、最高のビジネスマンになりたんだ。俺はただ、お客様の笑顔が見たい。俺はただ、あの大学生の子がまた、ここに来た時に〇〇円になりますといったときにさっとお釣りを渡すときに手を握りたい。幸い顔はいい。気持ち悪くはない。俺はただ、楽しく生きていたいんだ。あの窓から見える景色が小雨交じりでも晴れ間が少し出て、虹がだたり、小雨の中のブレーキランプが淡く輝いていればそれでいい。俺には俺の幸せを追求する権利がある。俺には俺が俺である義務がある、俺はそんな店のバイトだ。俺はただ、小雨の中の景色に感動していたい。ギラギラしたものなんて要らない。

 なんや。あのガキ。ほんま。いてまうぞ、なにゆうとりゃす。オラ。小藪ゆうたら、別れや。俺は、この店のテンちょーやぞ。こら。おい。小藪やいうてんねんぞ。ごら、名古屋知らんのか。名古屋。歩けんようにしたらすぞ。

 何語だよ。標準語話せよ。わかるだろ。リーダーが来た時、はなしてんのしってるぞ。方言なんてキャラ付けだろ。

 いてまうぞ、こら、いうとんことわかんのか。たわきゃす。オラ。小藪やぞ、おら。言葉は心を映す。方言を話すものはこの地域に誇りをもっているのだろうか。しかし、ここで思うのは標準語を話しても方言の方が分かりやすいと感じる事もあるということである。実際、青年も小藪さんの言うことが分かっているし、意味も伝わっている。この書き言葉の言葉遣いもまた、一つの様式であるとするならば、小藪さんはそんなコミュニティに属しているといえる。そして、それをわかる青年もまた、そのコミュニティに属している。と菅あが得る事が出来る。そう思うと青年は自分が怖いと思った。自分が深いだとおもったものも許してしまっている自分がいる事に、そういうものだと映画の字幕のようにパッと分かってしまっていた自分がいる事に驚いた。それはつまり、それを覚えなければならないということなのだろうか。のし上がるときは小藪さんのように人によって態度を変え、多少、なまりはしていても、敬語を持ちいなければならない。ならないといったがそれはルールであった。声真似配信を聞いていても、話をしている人は話し方が丸い。丸めなければ角が立つのだ。と思った。青年は声真似配信をよく聞いていたなぜなら、ファンシーで自由な緩く聞けるラジオのような気がして心地が良いからである。また、声真似配信の方は目線が近いので大変良いと思っていた。それを聞く間も世界は回り、夜はふけ、秋の風は日増しに冷たくなり、寒くなる。内裏が開き、将軍を決める評議が開かれる。会議、踊るも会議は進まず、将軍はどちらの手に渡るのか。戦国の世と言うは勇ましくロマンがあるが対岸の火事、遠い国のニュースなら、ほほえましいが我がこととなると武将が憎くてたまらない。関係ないと姉は言うがそれを決めるのは誰であるか。煮え湯を飲むのは誰であるか。それを考えたとき、俺は戦国武将が憎い。秋の代は寒い。こんな日はホットミルクに砂糖を多く入れて飲むとしよう。あな、憎し。ホットミルクと名月や。声真似に思いをはせて。耳に乗せながら。遠くで名古屋弁が聞こえる。ホットミルクがあたたかった。湯気を唇に、ほほに一つ感じた。ああ、君の手のぬくもりはこんなぬくもりか、ああ、あたたかい。顔を見ぬ君へ。

 

 明日の麒麟が来る。楽しみです。この物語は、戦国時代の価値観、息遣いの中に現代社会の堅牢さが隠れていて楽しいです。

 

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さるさんのうた サラシモノをきいた。

さるさんのうた サラシモノをきいた。

このステージに一人で立っている所から始まるこの曲。遠くで寂しげなピアノが聞こえる。少し、壊れているようだ。この世界には俺一人だけ。俺はわき役。それを決めるのは誰。人間だれしもステージに立っている。かけがえのないステージに。でも、この曲はそのことを声高に叫び、良かったぞ。皆キラキラしていると言っているわけではなく、そうかと思えばこの世界は暗く冷たく、どうしようもなく凍え死ぬほどの世界ではないという事を歌っている。歌にもあるようにサラシモノ。サラシモノとは一見、ネガティブな言葉のように思う。だけれども、ピアノをひいている人はサラシモノか。俳優さんはサラシモノか。ちがうと思う。皆、表現を楽しんでいる。ピアニストはピアノを擁して、俳優は役をとおしてステージに立ち、自分を表現するのを楽しんでいる。皆、気持ち一つ。精神一到、ふたつに一つ。二人の行方は・・・・。サラシモノだけの愛があるだろ。

さるさんのうた サラシモノをきいた。さるさん。歌、良かったです。

こいつら使えるぞ。なのはと北国の自由人。麒麟が来る。リリカルなのは。

こいつら使えるぞ。なのはと北国の自由人。

信長に将軍候補の保護を依頼した。光秀。それが通りしばし安堵の光秀。これで足利義昭は、保護された。なのはちゃんがいればもう安心だ。なのはちゃんの顔を見てしばし安堵の光秀。しかし、ここは恋愛ものではないので、邪魔が入るのは当たり前である。なのはちゃんの行動力、実際の事でもアニメの中の漫画の中の事のように俯瞰してみる力。人間は木をみて森を見ずとなる。その行動力。俯瞰する力、漫画の世界、アニメの世界の魔法のような圧倒的兵力、久しぶりに見たものを安心させ、ふにゃあとさせてしまう、その不思議さ。それに目を付けた人物がいた。越前の武将、朝倉氏である。朝倉は貴族に憧れているため、争いを好まず、蹴鞠や和歌にふけり毎日、まったりと暮らしていた。自分の所に戦が回ってこないように自由に暮らせるように日々、考えていた。息子も自由に、欲しいものは何でも与えた。平和を望む、朝倉氏。こう書くと良き殿のように思うが、何か考えがあるようだ。ある意味で人間臭いとも言えるだろう、しかし人間臭い事由さとは何だろうか。良い悪いはないが夢や目標がある人の前で怖い顔をして自分の野望を説くのは野暮ではないであろうか。自由人の野暮とは面白い、不思議だ。しかし、そのような殿もいたようである、自由で面倒な事を嫌うわりにあれが欲しい。これをやりたいという欲はある。欲をもって何が悪いという、このように書くと悪役のセリフのようにも聞こえるが漫画のようなあにめのようななのはちゃんもいるので良いのかもしれない、彼は少なくとも後世に残ることをも目標に、皆の期待に応える事を頭に置いている男であり、その構成においては田村ゆかりさんに役をしてもらうことをのぞんでいる。彼には純白のバリアジャケットはないが清廉潔白な部下、家中がある。真っ赤なリボンはないが勇ましい黒いひげがある、彼にはオレンジ色の髪はないがオレンジ色の衣がある。キラキラしている、その少女の周りには笑顔がある。しかし、それを良いなと見ているが苦々しく思うものもいる、その外にこれは使えるぞ。とみている自由人もいる。時に自由とは怖いものを連れてくる、時に団結とは良いものを連れてくる。マンガのようなものと自由を信じるもの、それを苦々しく見ているがその実、大きな目標があるもの。それらに呼びおこされた大きな魔物、それが混然一体となっている話、これがこのドラマだと思う。

麒麟が来る楽しみです。染谷将太さんの信長が良いです。前回の放送では信長の衣装がなのはちゃんの髪とと同じくオレンジであったので大変良いと思いました。今後は室町幕府との戦いです、なのはちゃん頑張ってー。

 これでもう安心だよ。だって、私が守るから。かっこいいだろ。ふふふ。