ブログもの真似主 nezuzyouziのブログ

ブログものまね主 ねずじょうじです。よろしくお願いします

コクソン 韓国のある村で。

コクソン 韓国のある村で。 ある韓国の村で連続殺人が起きた。それと時を同じくして謎の男が日本からやってきた。主人公の警察官である父さんは日本語が話せる相棒と共に捜査を開始した。村には将軍標というトーテムポールがあった。このポールは村を守る結界で村人たちはこのポールの向こうで暮らしていた。この村は豊かな村ではなく、細心の家電もパソコン機器もなかった。しかし、人々はのどかな生活を求めて朝鮮王朝時代の建物が残る村で暮らしていた。しかし、スマートフォンを持っていた。皆、それで連絡を取っている。心と心を通わせる反面、日々の情報、うわさ話に疲れ暮らしていた。そんな村のトーテムはみなを邪悪なものから守るために存在していた。父さんも村人たちの生活を守りたいと警察官になった。可愛い娘にも恵まれて幸せだった。豊かではないが清らかな生活。毎朝、村の教会の鐘が朝もやを切り開くようにあたたかな夜明けを告げる。朝食べる朝がゆが体を温める。タンのスープが活力をくれる。それは幸せだった。しかし、人々は忘れていた。人々はアナクロなものを忘れていたのだ。文明化によって欧米化していく韓国。しかし、韓国にも自然信仰があった。そのことを人々は知りもしなかった。そんなある日、父さんの娘の様子がおかしくなり、普段信心深くはない父さんだが祈祷をしてもらうことになった。文明人である俺が祈祷を。ふざけるな。俺は警察官だ。父親だ。しかし、その言葉を娘はふざけているのはお前だ。と一蹴する。父さんは言われたくないことを言われた。忙しい毎日を娘への愛で飲み込むようにして過ごしていたのに。俺は父親だ。と念仏のように唱えていた。信仰を忘れた現代人。ニュースやドラマに右往左往、父さんもその一人だった。人生の甘さも辛さも甘さもわけがわからくなっていた。ごった煮になっていたのだ。そんなある日、村のはずれに怪しい男が日本から移住しにきた。男も祈祷師だ。といった。ならば見てもらおうということになったのだが捜査の中でどうやら、この日本人が怪しいということに名なり証拠集めに回った。父さんは思った。これも娘のためなのだと。悪魔に取りつかれて変わり果てても俺は父親だ。相棒も喜んでいる。せっかく学んだ日本語を活かすチャンスだ。そう思った。活かすというがどうもこの男。胡散臭い。なぜ韓国に来たのか。なぜ、なぜなぜ疑いが増えていく。この日本人が連続殺人を起こしたという話になる。疑われる男。相棒は日本語で聞くが所々、聞き取れず理解ができずもどかしい日々。娘の悪霊騒動も謎の祭壇があったため、この日本人に疑いが出てくる。父さんは日本人に対抗するため、韓国で有名な祈祷師に祈祷を依頼した。相手も相当な手練れ、あれは悪霊だという祈祷師。祈祷対決が始まった。対決が激しくなるにつれてもだえ苦しむ娘。父さんはそれをみるに見かねて祭壇に殴り込んだ。これが良いことなのか悪いことなのかはわからなかった。すべては娘のために。わが子のために。その一心だった。それだけがこのごった煮の社会で確かな事だった。そのこと、愛を伝えたとき。娘は病院に入った。父さんは後悔したもっと娘に構えばよかったと。人は何かを失って初めてそのことの有難さに気が付く。総身をもって知る父さん。時を同じくし、村のある女が事件にかかわっていると分かった。女のもとへ行く父さん。そのころ、相棒は拙い日本語で日本人と話していた。いつも、アニメや漫画の中にある日本語。僕にとっては夢の国の言葉。それがここ何日かで、使うことが増えた。それはとてもエネルギッシュで心が躍る日々だった。実際に話してみると声がアニメより籠っていて聞き取りにくい。それもそうか。と相棒は思った。日本人は相棒に行った。「私はアニメではないぞ。血もあり肉もある。私はここに惹かれ。君もの所へ来た。」という。アニメや漫画が有名だがその内に人々が隠れていた。もっと知りたいと思った。もっと学びたいと思った。しかし、それは恐ろしいことだと思った。文化や宗教的価値観を越える事の恐ろしさ。しかし、その恐ろしさを越えなければそのうちにある美しさはわからない。日本人はそれを見て、君はもっとずる賢く生きなきゃなあ。」と笑った。 時を同じくして父さんは女に迫った。女は言う。「私にかかわるな。これ以上私にかかわると災いが起こると。父さんは唱える「俺は父親だ。強く優しい警察官なんだ」と。物語はそこで幕を閉じた。今日もあのトーテムは、あの村のあの場所にあるのだろうか。 コクソン。面白かったです。国村準さんが怖かったです。韓国にはキリスト教のほかにも自然を信仰するという文化があるのだ。と分かりました。相棒と日本人の心の交流の場面が心に残りました。一時の感情より出来事の順番や過程など筋道を考えることが重要だとということもよくわかりました。今の時代にはたくさんの情報があり、惑わされる時もあります。だから、一時的なことに惑わされないでよく考え信念を持ち行動したいと思います。