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あさのやま。頑張ってください。

あさの山関が負けました。輝強関の足取りで負けました。

相手を受けて立つ相撲で戦おうとしたのに相手の足取りで敗れてしまいました。正々堂々と戦うのが良いのか。一ひねり、アクセント、工夫を付けるのが良いのか。考えさせられました。相撲が好きでここまで上がってきた朝のやま。しかし、上には上がいました。お前だけが相撲が好きなんじゃないんだ。みんな好きなんだ。これはみんなでやっていることだ。考えるべきだ。難しいところではあります。自分の武士道。自分の道というのは簡単です。けれども、これはプロの世界の事であり、お代をもらって行っています。だから、考えねばなりません。大相撲ではなくても、大相撲の世界で躍進し、活躍するために、試行錯誤をせねばなりません。向田邦子先生の小説を読みました。阿修羅がごとくという小説です。これはホームドラマの形をとってはいますが、テーマが家庭や姉妹の中での生存、平和な日常にある小さな戦い。この小説は一番上の料亭に花を活けるアルバイトをしている綱子さんの視点で語られる少し冷たい家族の話です。今回のあさの山関を見ていてそれを感じました。そこが好きでそのことが好きでここに来たはずでここまで登ったのに先に行けなくて、テレビで自分の相撲での心情を語ったのに、違うでしょと言わんばかりに笑われて、好きだから、大切だから、悩むこと、苦しい事もあるんです。皆がルフィのようになれるわけではなくて皆、悩んでいるのです。けれど、悩んでいると足元をすくわれます。大きなチャンスも逃してしまいます。けれど、信じて進むのです。きんえもんさんのように仲間を切る事があっても、前に進むのです。皆ニコニコとしているのが一番です。けれど、戦わなければ、向き合わなければならないこともあるのです。そんなとき、仲間がいたらいい。家族がいたらいい。阿修羅がごとくの綱子には滝子がいます。けれど、100%の味方ではなく、心の壁がありました。血のつながりで温かい家族があればよいのですがそうもいかず。そうかと思えば冷えてもおらず。最後には事あるごとに思い出を語り名が食卓を囲む。いい気持ちでその日を終える。そのことを目指して生きている綱子たち。苦悩の世界の物と戦いながらウナギを食べる。好きだからそこにいる人たち。課題は必ずある、逃げてはいけない。けれど、逃げたい。でも好き。あなたは誰なの。神様、鬼、モンスター綱子は思った。けれど、そいつはこういうばかりだった「俺は阿修羅だ。阿修羅。そういや分かるだろ。俺が誰か。好きなんだろ、俺の事。」と笑った。

きんえもんは思った辛いことがあっても先に進まなければならないと思った夢にまで見たあの敵はこの奥にいるぞ、魑魅魍魎の島へようこそ、どうする。進むか。進まぬか。どうする。苦しくてくっと息を殺すか。好きな物は恐ろしいものだ。先に進まねばならん。

朝のやま関頑張ってください。向田邦子先生の時代から語られてきたことなのです。

ここは魑魅魍魎の島。どうする。明日になれば半沢直樹もありますね。苦心、苦慮、もしくは楽しいイベント。どうなっていくのでしょうか。てんたかく、育っていきたいですね。心の阿修羅と向き合って。

母さんさんが、ご飯ですよ。ご熱心ですね。スマートフォンですか。それが流行りのというと、鋼太郎さんは「ああ、滝子におしえてもらったんだ。」とバツがわるそうにしてスマホで顔を隠した。父さんは今どんな顔をしているのだろう。良くは見えなった。

ただ、画面だけがきらびやかに光っていた。その光の中に二つの感情を混ぜながら、時が過ぎていった。