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ものまね。 政治家稼業。パラレルファクター。

ものまね。 政治家稼業

 

せんろは、秋も深まる今日、この日。

久しぶりに小さいころ、過ごした奏山の町を訪れた。

少し、寂れてしまってはいるが、当時の面影が残っていた。

せんろは、友達の多い方ではなかったが、小さい頃は、地域の少年野球チームに所属した。名前は、ミッドナイツである。真夜中の奏山である。

真夜中の子供たちである。なんだか、少年野球のチームの名前と言うよりは、大人のお店の名前、お酒の名前である。けれど、こういう名前だった。

お酒の話も、なにも、まだ知らなかったテツロウ少年は、ミッドナイツという響きが好きだった。この野球チームをやっているのは、商店街のバーのおじさんだった。

だから、この名前なのだ。せんろは、外野であった、外野はぼーっとできるから、外野が良かった。そして、広場の空をぼーっと眺めるのが好きだった。

せんろには、仲がいい、車田くんという子がいた。投手だった。

車田君は、豪快で、野球が好きだった。好きな選手は、ジャイアンツの細田選手だ。

かれも、また大柄で、細田と言うには。この細いという言葉がもったいないほどであった。

細田なのに、大きい。あのジャイアント馬場選手と同じくらいあった。

馬場選手は、のちに、ジャイアント馬場と言う名前で、プロレス界でデビューするのだが、それはまた別の話だ。

せんろは、おなかがすいたので、商店街の定食屋に入った。

せんろは、まだ、ここあったんですね。おぼろげに覚えています。と呟いた。

それも、そのはず、せんろは、今、31歳、もう、15年以上前の話である。

政界に進出してからは、仕事が忙しくて、なかなか来られなかった。

ガラガラっとあけると、中にいた。親父さんが、「いらっしゃい。」と、面倒くさそうに言った。

それを聞いて、「おや。」と、思ったが、このアットホームな感じが、個人店の良さであった。せんろは、席に着くと、「かけうどん、一つ。」といった。

せんろがそういうと、親父は、ヘイ。といって、面倒くさそうにかけうどんね。楽で、いいわねえ。と、言って作り出した。

かけうどんを作っている親父にせんろは、「あの。親父さん。せんろテツロウって、このあたりに、昔、住んでましたよね。」と聞いた。

親父さんは、「ああ。」と、めんどうくさそうにいうと、せんろ テツロウ。・・・・。

はて。と考え込んだ。そして、ああ、車田の子分か。といって笑った。

そして、そのせんろが、どうしったてえの。なんか、悪い事したわけ。お兄さん。

その、新聞屋さん。ああ、今は、横文字で、なんてったかなあ。ジャーナリスト。

といった。

親父がそういうと、ああ、いや。そういうわけじゃなくて。

と、少し、笑って、せんろは、「その、私。せんろ テツロウ。本人なんです。

自分でいうのもなんですが、久しぶりに、こっちへ来て、懐かしくなって、この店に来たんです。親父さん。覚えてます。僕の事。と笑った。

せんろが、そういうと、親父は、「はてなあ。」と、言って少し考えた。

その時、せんろは、「ええ。なんで覚えていないのよ。」

「キュー。」と、いって、心の中で、困った顔したゴマちゃんのまねをした。

けれども、そうだよな。と思った。あんまり、こっちへいないし、隣町へ、私立中学へあがるのを機に、ひっこしたもんなあ。と思った。

それに、そのころは、引っ込みじあんで、車田君の後ろにかくれていったけな。

と、ゴマちゃんは、思っていた。あれ、せんろは、思っていた。

せんろは、親父が、車田君と言うと、懐かしい気持ちになった。

心の中が、ホッと、温かくなった。

せんろは、車田君。どうしてますか。?と聞いてみた。

すると、ああ、車田。ああ、車田なら、今来るよ。もう、六時まわったろ。

ここに、飲みに来るよ。電装。やってんだ。あの、自動車の配線をつくってるんだよ。

一生懸命、詰めて作ってるみたいだぜ。と、いった。

親父がそういうと、せんろは、小さなころの事を思い出していた。

ひっこみじあんだったせんろ。そんな彼は、度胸試しに、小学校の先生の物まねを車田君の前でやってみた。「おい。車田。そこに座りたまえ。そこに居たまえ。大将。」と笑わせた。もちろん先生は、真面目なので、そんな親父ギャグは、言わない。

これは、せんろの渾身のギャグである。このころのせんろは、気弱で、ギャグをいうなんて、めっそうないという、風だったが、車田君が「おい。テツロウ。やってみろ。何、度胸試しだよ。やってみろっての。」と、いった。せんろは、恥ずかしかった。

けれども、お友だちの前、親友の前だったら、いいや。と思って、愚にもつかない。

「おい。車田。そこに座りたまえ。そこに居たまえ。大将。」という、ギャグを、先生の物まねをしていった。

せんろが、そういうと、車田は、「なんだそれ。」といって、噴き出して笑っていた。

そして、せんろに、「でもさ。せんろ。大将って、言われて、ちょっと気分がいいよ。と笑った。車田がそういうと、せんろは、そう。ありがとう。といった。

せんろが、そういうと。車田は「せんろ。お前、物まねの才能あるな。」と、いって笑った。

それからというもの。せんろは、物まねの練習を来る日も来る日もした。

レパートリーは、どんどんと、増えていった。

このころの物まねが、一番、クリアだったなあ。悪ふざけじゃないもの。と、振り返った。

初心、忘れずべからず。思い出してあのころの輝くまなざしを。そんな事は、いうのは、簡単だが、なかなか実際にやるのは、たいへんな事だな。そう思うと、せんろは、不思議な気持ちになった。

初心。忘れていないかな。物まね芸人として。メイクアップアーティストとして、一匹のゴマちゃん?として・・・。いやはや。

そんな事、どうでも、いいか。私は、政治家だ。議員だ。議員としての初心。

忘れないで、いるか。と思った。

そんな感慨にふけっていると、戸が、ガラガラっとあいた、

戸が開くと、親父は、いらっしゃいと、また面倒くさそうにいった。

その客は、親父がそういうと、せんろ議員の隣に座って、「あつかん。一つ。」といった。

そして、せんろに、「隣。いいかな。」と、言った。

話しかけられるとせんろは、「いいですよ。」といった。

その時、せんろは、その顔を見た。ひげが生えて、所々無精ひげみたいになっていて、ゴマを吹いたようになっていて、それこそ、ゴマちゃんという感じだったが、眼鏡をしていて、ハリーポッターダンブルドア先生に似た聡明な目と、眼鏡をしていたので、よくわかった。その時、せんろは、ああ。車田君。と思った。

せんろがそういうと、「ああ。せんろか。声で分った。」といった。

 

車田君の服は、電装作業用の青い作業着だった。

ハリーポッターダンブルドア先生は、魔法のローブを着ているけれど、そこだけは違った。その聡明な目を、眼鏡を見ると、懐かしくなった。

これは、ある大魔法つかいが、イギリスのとある魔法学校の校長になる前の話。ジャイアント馬場が、プロレス界に行く前の話。あるメイクアップアーティストがメイクに目覚めるまえのお話。一匹のゴマフアザラシが、まだ、生まれる前の話である。

これは、そんな彼ら、彼女らがいない、おおらかな柔らかく毛布のように安心する時代の話である。

今日は、そんな話で盛り上がった。かけうどんを食べるだけだったのに。

お酒も少々、飲んだ。定食屋なのに。お酒が出れば、あっという間に赤ちょうちんである。時間がゆったりと、流れていた。

お久しぶりです。ダンブルドア。今日は、作業着なんですね。そう、思った。