ねえ、ねえ、テレビって知ってる?
最近、あるよね。今までは、舞台とか、寄席とか、行かないと、歌とか、ショーとか、見れなかったけど、最近は、テレビっていうものが出てきて、寄席とか、舞台とか、芝居小屋に行かなくても、歌やダンス、最近だと、相撲や野球なんかも、このテレビってのをつければ、野球場へ行かなくても、相撲場、国技館なんかに行かなくても、野球や相撲が見られるんだよ。
すごいよね。アメリカでは、これが一般的なんだって、アメリカ、僕は、行ったことないけど、よく、レコードを聴いてるよ。トランペットに、洋楽、それから、ジャズに、サウンドオブミュージック、僕ね。よく聴いてるんだよ。
兄さんと、姉さんと、一緒によく聴いてたよ。
アメリカ、夢がいっぱい、ある国だと思うよ、
アメリカには、自由がたくさんあるんだ。
きっと、あー、でも、そんなこともないか。?
アメリカにも、会社は、あるし、仕事もあるし、疲れたお父さん型がいるもんなあ。
だけど、僕は、歌があるところには、どこにだって自由があると思うよ、
歌を歌うと、気持ちがいいよね。世界も、広がると思う。
ということは、このワコクにも、自由があるのかな?歌は、ワコクにも、あるんだから。
そうそう、今日、街を歩いていたら、おい、君、歌うってみな。って、言われたんだ。
変な人だなと思ったけど、その人は、キスビット人で外国の人だと思った。
歌ねえ、外で歌うもんじゃないと思ったけど、その人に頼まれて、一節、歌ったの。
明日があるさ。っての。僕のオリジナルの歌ね。
これね。恋の歌。僕の恋の歌。
これね。歌ったのね。一節ね。そしたら、君、うまいね。歌。よし、君、クレージーと、一緒に歌ってみる。?君、テレビって、興味ある。?名前、なんての?って、言われた。
僕は、いきなり、そんなこと、言われたので、
なんのこと。?って、思った。?
いきなり、テレビに出ませんか。なんて、話半分でも、おかしいと思った。
けれど、その人は、君の才能は、素晴らしい。
なまえなんてんの?あんたの名前だよ。
と、キスビットの人にしては、流暢なワコク語で話した。
僕は、あっけにとられて、坂本です。九です
僕、九っていいます。って言ったら、あら、あんた、ナインって言うの。ナインは、そうだな。こっちの言葉だと、九ね。あんた、変わってるよ。九ちゃんね。あんた。坂本っての。
へー。面白いね。まあ、いいや。きゅうちゃんね。明日から、テレビ出てもらうから。
もちろん、歌の練習も、演技の練習、あー演技は、まだ見てねえなあ。まあ、なんだな。
よろしく。きゅうちゃん。後で、家に書類、送るからさ。なあに、嘘じゃねえって、知ってるか?キスビット人と、インド人はな。嘘つかねえんだぜ。って言った。
僕は、目を丸くして、はあ。とか、ほお。とか、しか言えなかった。
僕が、そう言ってると、じゃあわ頼んだよ。
俺、こっちきて、半年、やっと、スターの卵に、巡り会えた。また、頼むよ。きゅうちゃん。と、言って、どっかへ消えた。
消えるときは、忍者のように変えた。
知ってるよ。外国人の人は、呪詛やら、忍術やら魔法やらを本当に使うんだって、へえ。本当にあったんだなあ。なんて、思っていた、
そのとき、僕は、外国の人が、呪詛やら、忍術やら、魔法やらを使ってんなら、ワコク人、ヤマト男児の僕には、何を使えるんだろう。って、思った。
そう考えたとき、僕には、歌の力があるのかな?って、思った。
そう思うと、突然、テレビに出て見ない。?って、言われて、びっくりしたけど、僕は、なんだが、やる気になった。
それに、僕の家は、昔、昔、お侍の時代から、続く、料亭で、僕の母さんなんかは、よく、お座敷で歌っていた。小唄なんかも歌った。
夜には、ドンチャンだ。カンチャンだ。音がして、楽しかった。だから、僕は、このとき、嬉しくて、仕方なかった。
僕も、母さんみたいに、舞台に立てるんだ。
あの、ドンチャンだ。カンチャンだ。のあの賑やかな場所に、立てるんだと思うと、僕は、嬉しくて。
そう思うと、僕は、歌を歌いたくなった。
そしたら、また僕のオリジナルの歌、
上を向いて歩こうを歌った。
幸せは、雲の上に、幸せは、空の上に。と、歌った。
そう思うと、さっきの、テレビに出ないって言われたことは、本当に、適当な文句じゃなくて、本当のことなんだと言う気持ちになった。
それは、なんと、的中した。
家に帰ると、兄さんが、おい。九ちゃんよ。
お前に、書類が来てるぞ。と、言った。
僕は、喜んで、それを開けて見た。
そこには、ヨアケヤレコードプロダクション
契約書類。と、書いてあった。
さっきの外国人さんの言ったことは、嘘じゃなかったんだ。
僕は、それを見たときそう思った。
その書類には、厳かに、坂本 九様と、書いてあった。