nezuzyouziのブログ

nezuzyouziの日々のことを書く ブログです。

ジャズと小雨とビスケット(ジャム入り)

配信をきいた。

今週のお題「好きなおやつ」

配信はその人の人なりが分かる、その人の空気を体感できるので面白いです。ジャズをバックミュージックに紅茶を片手にシックな時間を。紅茶は蒸らすとおいしい。紅茶は何も入れずにストレートで、ミルクとグラニュー糖を入れるとロイヤルミルクティーに早変わり。ジャズを聴いていると小雨降る中、窓の外は小雨。少し寒くなってきたこの夜に一人の声真似主さんがリスナーとのひと時の雑談を楽しみながら、面白おかしく、遊び、楽しみ、ゆっくりとしてゆっくりと過ごして・・・。時には大人の時間もどうですか。秋の夜長に声真似を。あなたのお耳の恋人に。あるいはお耳のお友達に。お一つ。ひとつ小耳にはさんだ。紅茶をいれながら。ジャムを挟んだミニビスケットを一つ。添えて。

 

室町幕府最後の将軍とリリカルなのは

室町幕府最後の将軍とリリカルなのは

私はこの国を平らかにしたいとよく言われるが。平らかとはだれにとり、平らかであるのか。民にとってか。武士団にとってか。私は寺にいたいのだ。寺で仏の道を収めたい。

俺は、この世界に残る、大人物になりあたい。その道中で田村ゆかりさんが俺を吹き替えてくれれば本懐だ。

 私は、弓を引いたことも刀を振るったこともない。私にあるのは今日を読み、毎朝、決まった時間に寝起きし、煮炊きし、身を清め、托鉢に出かけるのみ。

 俺は大人物になる、そのためにこの尾張を治める。我が家は、名家とはいえぬ。言えぬが俺には夢があり、若き血も手に入った。大魔法使いのなのはちゃんも最初は弱かった、最初はだれでも、序盤からだ。

私はこの国の事は分からぬが、寺の庭の木の葉が落ちる事は分かる。落ちた葉は死んでおると良く申されるが、私は落ちたのではなく、代が変わったと思う。そのようにして命は巡り、若木から朽木へと変わるのだと思う、道はどこにでも続き、どこにでも行けるというのであれば私は飢えているものたち、子ら、先達を助けたい。救いたいのだ、私は力とは武ではなく流れる水が大きな岩を動かし、小さな苔が巌に萌えるように共に生きるために必要な力もあると思う。私はこれも仏の道の姿だと思う。

 なのはちゃんはかわいい。子供時代から大人まであるから。俺はジュースを飲む、今日はコーラにしよう。俺は今、尾張を攻めている、いつまでも血にこだわるものの子らを攻めている。血か、血が良いか。貴様は血をもって収めると、申すか。ならば、我が実績の一つとなれ、我が刀のさびとなれ、なのはちゃんのように笑うためにはさびを増やさねば、さびというと俺は手は抜かぬぞ、ゆかりんのように丁寧に歌うのだ、

 恐怖をもって、怖い心をもって国を治める事、血をもって威光をもってその地を治める事は違うからね。魔法はなんだってできるよ。だから、何をするかが大切なんだよ。それが積み重なっていいものを連れてきてみんな笑えたらそれはいい魔法だよ、私の力はそんな力。 

私の力はなにもない。けれども、空を見て時間が進んだということは分かる。何もなせなくとも、何かをなしたいという心はある。この地のために何ができるかを苦心する事、それが仏の道であると思う。さすれば、この国は平らかになるであろう。

 俺には力がある、力とは学べる、空とは高く飛べる。赤いリボンに風を感じてどこまでもすべては俺のため、すべては一つのゆめのため。あるいはなのはちゃんが懐で笑っている日のため。

 私は何のために生きる、生きるために死ぬ。死ぬために生きる、生きるために死ぬ。死ぬとは仰々しい言葉だ。私はただ、寺にいたい。ただ、平らかに、ただそこに山があり、川があり、里があればよい。

 俺は進みたい。いい酒を飲み、作品が出来、それに声を入れる。時に共に悲しみ共に怒り、共に笑う。それが巡り、自分の所に帰ればよい。それが巡り、時がたち、進めばよい。ただ、そこになのはちゃんが笑っておれば良い。

私は誰のため、齢を重ねても分からぬ、声もしゃがれてきた、ああ、南無阿弥陀仏

「ふんふん。もうしらないもん。魔法で行こう。」

死にとうない。死にたくはないのだ。私はただ、平らかに。

 そうだな。次に行きたいな、ともだちともっと増やして、どんどん前に進むんだ。レッツゴーだよね。

 私はただ、ただ、ただ、南無阿弥陀仏と唱えたい。

 魔法をとなえるよー。そーれ。えへへ。

 

麒麟が来る、来週も見ます。滝藤賢一さんの義昭が良かったです。

なのはの休日。麒麟が来る。

なのはの休日。 麒麟が来る。

将軍は倒されました。三好軍に敗れたのです。三好は他の物を将軍に擁立しようとします、足利義昭は一般社会から距離を置いて寺に入り仏門に入っていたのです。足利家では長男の嫡男以外は仏門に入る決まりとなっていて義昭も例にもれず仏門に入っていました。寺で修業を積む中で、人間の至らなさ自分の小ささを感じた義昭は人のため、人のためと呪文のように唱えます。けれど、その中でたくさんの人を貧しさや苦しみから救いたいとおもう中で自分も死にたくない、苦しみたくないと思うようになります。弱い自分を知った義昭は還俗し徳の高いお坊様の道をあきらめます。しかし、徳の高さというのは誰が決めるのでしょう。お坊様にならなくとも、仏門に入らなくとも徳は積むことができる。と義昭は思ったわけです、旅をする中で開く道もあるでしょう。風の声を聴き、水の音に耳を澄ます。そうすれば、徳も開く事でしょう。そんな高い志の話もあればいろは大夫のように誰が上に立とうとも良い。商いが出来れば、生活があればよいと考える人もおり、高貴な職にありながら自分の命が惜しくなり、姉に助けを求める純粋な若者もおり、そこになのはだ。フェイトだ。と漫画的なものが加わります、この世界にはたくさんの人が住んでいます。いやあ。と畳の上で刀を振り回す人だけではないのです。

望まば、思いのままに、仏も刀もそこになります。もちろんなのはちゃんもそこにいる事でしょう。しかし、その上には現行の悪しき伝統や美しむべき伝統があります、すべて、この世界にはあります。少し、足を延ばそうとすればアメリカにだって行けるのです。しかし、光秀は今、この室町の世にいます。信長のようになのはちゃんのようなポップなかわいい活躍はできません、一つの目標に向かって生きる事、未来の大声優に吹き替えてもらうような活躍も、田村ゆかりさんのように器用な幅も持ち合わせていません。あるのはすれた心と、ほんの少しの優しさだけ、少し、擦れたこころで生きなけれあならないときも必ずあるのです。そういう人もいなければならない、そんなことを光秀は思ったのかもしれません、いろいろな事が出来る世の中で、自分はどれくらいの事が出来るのか。光秀はそれを考える人なので面白いです、そこは魔法でかわいくバリアジャケットを着て、ハートマークいっぱいで行けばいいのに、そういう方ではないので、そういう難しさはあります。麒麟が来る。来週も楽しみです、

 

 

「ふんふんへーー。皆なさ、悩みすぎ。でも、いっか。それが君の道だから。」

フェレットかわいいよ。はーい。柔らかいでしょ。いいだろ。カッワイイ~。」

 

麒麟が来る。なのはと秀吉。侍対なのは。麒麟が来る。

麒麟が来る。なのはと秀吉。

信長は城攻めで忙しいといわれた光秀。しかし、書状は頂こうという、邪険にはしない。仕事はしっかりと行う。邪険にはせぬよ。そう話をしていると胃もくさい物売り風の男がやってきた。ビジネスは心。商いはこころでするといわんばかりの営業マン風の男はにこやかに割った。しかし、ひょうきんな男では終わらなかった、気品があるように思えた。気品にも梅、竹、松があり、光秀が竹であれば秀吉は梅といった具合であろうか。秀吉が梅とは書いていておかしいのだが、泥にまみれて農業に勤しみ、物を売っている彼らには彼らの気品があるということである。その気品は後から身についたものであっても、それを再構築したのは彼である。彼は羽柴藤吉郎、字が読めぬ身から身を立てた男である。このように書くとさも、勉学で身を立てた蛍の光の人であるように思えるが宋ではなく彼の良い所は机に向かいて、というよりは机の外のコミュニケーション。飲みにケーションであるようにおもえた。

飲みにケーションと勉学とはあまり結びつかないが、見識のある人でないと講釈を一席、打つこともできないであろう。ウイットは知からである。それがかみ合ってこその笑いである。彼は将軍の暗殺計画がにわかにとりだたされていることを知る。それを光秀に伝えた。光秀は今、越前にいる。越前の殿はお公家趣味であって、先ほどの秀吉に相通じるものが本当はあるべきである。しかし、彼にはなかった。少なくとも光秀はそれを感じなかったのだ。どんなに蹴鞠が上手くとも和歌が詠めても、彼には感じなかったのだ。それは将軍にも言えるように思えた。けれども、将軍様には忠があった。彼は自分を買ってくれた。自分の意見をその腕を買ってくれたのだ。けれども、それはまことの忠かとも思った。光秀は悩んだ。けれども、そのことを光秀は心の奥にしまった。もし、真でないならこの世ごと風向きが変わってしまう、しかし、そうすると家族にも火の粉が飛ぶ。それでも、光秀は良かった。今の自分に満足していないから、他人の祭りを見るように楽しい気持ちに浸りたかったのだ。忠はなにか。美しいとはなにか。何が心地よいとされ、気持ちが悪いとされるのか。光秀には分からなかった。なのはには魔法があり、白いバリアジャケットを着て、赤いリボンをしている。その行動はまさに魔法であり、彼女は尾張魔法少女リリカルなのはであった。しかし、自分はそうはいかない。いつまでたっても、国を追われた越前の浪人である。この身に流れる血は土岐氏のちであるとうわさされているが一向にそのような事はなく、何もない。今、信長様が戦っておられるのは、斎藤氏である。斎藤氏はある時、自分は貴族の血であるぞ。と触れ回り、明智の庄を乱した。もう、あの時代も遠くなった。いつまで、貴族だ、高貴だ。といっているのか。そうするなら、自分もそれを信じて越前の血でひっそりと住めばよい。と思った。血のために生きる。血によって生きているわけではないのだから。そのような美しい言葉も残念ながら言えない。言える立場にない。さすれば、力を得たい。忠を尽くしたい、将軍に歯向かう賊を打倒したい。しかし、それは本意か。それを望むか、大儀のない力は身を亡ぼす。美しいとは言えない。しかし、怒りのままに力を向けるのは気持ちいい。その良さを望むか。将軍は思った。能を見るとき、紅葉狩りに行った時、それを思った。秋風が気持ちいいと。刀を少し抜いて日に当てた、私にはこれがある。いざという時はこれをふるえばよい、銀色が美しい、見ていると安心した、自分の居場所が行いが見つかったと思った。帰る場所が見つかった。いまこそ土にかえるときだ。銀色の世界こそが自分の世界だと強く思った、その銀色の世界に赤い花が咲けばまた良いと思った。私は戦いに生き、土と共に生きてきた。人間みな土にかえる。土とともにみな活きている、将軍はそう思った。

将軍がそう思ている時、なのはは手を振り払っていた。古い時代の悪しき手を張っていたのだった。フェイトちゃん頼んだよ。おや、仲間が増えたかなァ♡いや、とにかくなにを言いたいかというと仲間にあだなすものは許さないということだ、おや、仲間?光秀には耳がが痛いようで。なのはは笑った、「耳、いたいんだ。」と笑った。かわいかった、この世界には不釣り合いなくらいに漫画的で、かわいく、オレンジ色に輝く髪をなびかせながら、

秋の夜長に声真似を。

秋の夜長に声真似を。

この後、21:00から声真似大会が開かれます、今回は対戦形式だそうです。

これは別会場になりますがリク汰さんがサマーウォーズの劇に出演するそうです。感性があるものにまた新しい命を吹き込む。どんなサマーウォーズになるのか楽しみです。こちらは野原ひろしの声真似でおなじみのkameさんも出演するそうです。楽しみです。秋の夜長のお供に声真似はいかがですか?楽しみです。

クレヨンしんちゃん ラクガキングダムとほぼ四人の勇者 大丈夫、君の世界は美しい。クレヨンしんちゃんで向田邦子先生。

クレヨンしんちゃん ラクガキングダムとほぼ四人の勇者 クレヨンしんちゃん向田邦子先生。

ラクガキングダムとほぼ四人の勇者を見た。このお話は最初、しんちゃんたちがラクガキ王国と戦うのかと思いました。しかし、いつもと違っていました。この作品にはユウマ君というお母さんと少し、うまくいっていない男の子が登場します。その子はいつも、一人でいるときはタブレットをもって動画を見ています。タブレットで動画を見てるなんて令和っこですね。と思ったのですが何を見ても退屈そうで、六歳にしてこの世のすべてをしったような退屈そうな少し悲しそうな顔をしていました。なぜ、良いタブレットを持っているのに。こんな世界、きえちゃえといわんばかりですね。でも、そんなときに別の世界に繋がりラクガキングダムが日本上空に現れました。もしかしたら、ユウマ君の弱い心が悪いものをよんだのかもしれません。けれども、そこにしんちゃんとぶりぶりざえもんが現れました。どうしたのよぉ。ちょっと、としんちゃんが現れました。彼はいつも元気いっぱいでギャグもびしっと決まってマイペースでみんなの人気者です。年は五歳、先ほどのユウマ君は六歳、いとつ年下、ユウマ君の方が年上ですね。ユウマ君が苦しんでいる時、辛いときにしんちゃんはブリブリダンスを踊って、みんなを笑わせて、面白ギャグもいって、ユウマ君が泣いている時、たくさん笑って、ユウマ君がタブレットでアニメを見ている時、しんちゃんはアニメのような冒険をして、ああ、腹が立つ。ユウマ君は思いました。自分はわき役、楽しいグループじゃないんだ。ユウマ君は悩みます。けれども、しんちゃんはそんなことは言わず、冒険します。泣いている暇があればギャグを一ついいます。そんなしんちゃんをユウマ君はすごいと思います。まるで、漫画の世界の勇者様だ。と思います。そこにお兄さんの背中を見たのです。けれども、しんちゃんはそんな湿っぽい事は考えません。前に進みギャグを飛ばし少し怒られるかもしれないけど、下品なギャグも言います。そんなしんちゃんを見てユウマ君は少しずつ、感化されて、下品になるというわけではありません。感化されて、心のしこりが少し、小さくなってイライラがなくなっていくのです。そうすると、だんだんと自分にも自信がついて自分の身の回りの良さに気が付いていきます。そうすると、言動や行動も前向きになり、タブレットの電源も自然に切り、自分の力で歩み始めるのです。しんちゃんも苦しい思いをしました。けれども、ユウマ君のような子もいていいんだ。ということがユウマ君自身もよくわかりました。この映画のテーマは奇跡は意外に身近にあるということだと思いました。子供には無限の可能性があって、人間には必ず持て余した力があります。しんちゃんにはなれなくても、君にはかけがえのない力がある。だから、くよくよしないで。前を向こう。向けなくても、冒険を終えた後はなにか世界がきれいに見えているはずだよ。ほら、タブレットにしんちゃんが。あれ、前よりタブレットの画面がきれいになっているような。お母さんの事は許せなくても、今はうまくいかなくても、君には可能性がある。それを忘れないで。100%ハッピーエンドにならなくても、自分より年下の子が幸せそうでも、君は素敵、君の生きている世界はこんなにも美しい。違うと思っても大丈夫、だってユウマはオラの映画で笑ったから。そう思うとタブレットの画面も明るいでしょ。

ラクガキングダムの映画は良かったです。

主題歌のギガアシテルも良かったです。君がラクガキだって思ったものだって、誰かにとっては大切な宝物さ。という歌詞が良かったです。

何となくですが、僕の好きな向田邦子先生やポンジュノ先生がしんちゃんを使って映画を撮ったらこんな物語になるかもしれないな。と思いました。大変好きな作品ですね。しんちゃんの映画なのでポンジュノ先生のように大人の汚い所やドロドロしたところはかけないかもしれませんがそれをしんちゃん流にアレンジをして、楽しいギャグも忘れずに描いたのは素晴らしいと思いました。

少し、向田先生の香りを楽しむことができました。

 

リリカルなのはな問い。麒麟が来る。

麒麟が来る、楽しみです。

将軍を守りたい光秀。それを受け取らない信長。その忠は良い忠なのか。大きな力には大きな代償が伴うことを知っている信長。世の中に魔法の力が流れたとき、大きな力、屋台骨も動き出してしまう。守ります。といってしまったら、もう引き返すことはできない。その代わり、やりますよ。といったなら、やりましょうと、言えなければならない。良い力を組みとなれねばならないのだ。なのはは助けてくれるだろう。どこにでも、駆け付けるだろう。しかし、大きな力には大きな責任が伴う。魔法には魔法の大小がある。なのはが出ると、そこに力がかかる。白い純白のジャケットが戦国をかけるとき、大きなものも生まれてしまうだろう。この世界には君たちだけではなく、文学青年も生きている。その中で、君はどういきるのか。魔法少女に、リリカルなのはに頼むのか。頼んでも、そのあとは、大きな力には大きな代償が伴う。それをそう超えていく。光秀よ。どうする。どうしていく。なのははいいぞ。かわいいぞ。でも、どうしていく。なのはを呼び、それを行いどうする。そのあとはなんとする。世界は回っている、どうしてく。りりかるなのははいいぞ。

「うん。どうしたの。それで・・私は、どうすればいいのかな?。」

なのはは笑う。光秀は答えられない。この世界で一番かわいい笑顔で聴いてきた。けれど、言葉じりが少し、冷たかった。けれども、なのはは見ていた。バリアジャケットを着て、笑っていた世界一かわいらしい笑顔で。