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オレンジの髪の彼女はもういない。麒麟が来る。

オレンジの髪の彼女はもういない。

私は、あの日を忘れない。あの当時はオラだった。なぜ、オラかって、私は農民だったからだ。農民の中でも、貧しい農民だった。食うにも困り、あわやひえをたべていた。白いご飯を食べた事などなかった。武門、最初は竹下殿という豪族、いや、土農いや、彼も農民といえるな。言葉遣いもみゃあみゃあ弁であった。私はそれがコンプレックスだった。人は話す言葉により形作られる。読み書き、そろばんこそこの世の宝だ。知識は身をたすくのだ。知識こそが道を開く、私の弟も私の家来もそうだ。低き身分でもこのように美しく格式のある言葉を話せば見える世界も違ってくる。このように。私は上に行きたい。この肉にこの血にしみついた土のにおいを落とし、香がかおる宮にあがりたい。私は知によって身をたてたい。サル顔などとはいわせん。サルは知恵が回る。信長は私がいなければなにもできない。私が補佐をする。良い声を出すことによって、そうだな。フェイトというキャラクターをしっているか。信長がのたまう空想物語の登場人物だ。彼女もまた苦労をしているようだ。彼女はとある博士に娘に似せて作られ、その娘と同じ道、娘は魔法少女として働き命を落とした。フェイトはその代わりとして文字どおり代わりとして生まれ、育ち、働いた。私はその話を聞いた時、彼女は私だ。と思った。私も貧しい時に腹のすかせた妹や弟の飯や汁を悪びれずに食べた。そのころは悲しいとは、いけないことをしているとは思ってもいなかった。それが私にとっての当たり前だったのだ。その前に同省もないあの空腹。いてもたってもいられない飢餓感。あのひもじさは筆舌に尽くしがたい。冬は寒い。冬になると土間は冷える。薪などなかった。私は貧しい農民だった。士農工商と聞くが士農工商などではなく、小さな農民は大きな農民により支えられそして、大きな農民は、より大きな農民により、支えられていた。支えられていたというと聞こえはいいが実際は搾取されていた。といっても過言ではないかもしれない。私はこの状態を抜けだしたいと思った。私は一人でここまで上がってきた。母や弟、妹などはいるがどこか遠い存在のように感じられた。そんなものだから、先ほどの夢物語を聞いた時。私は、同じものがいたと思った。空想の物語ではあるが確かにこの心の中にいた。おおっと驚いたものだ。それからというもの。私も信長様のように空想物語に身をやつした。しかし、戦で地にまみれ、酒を飲み、寺院を立てていくと心の中のそのものを殺したくなった。そして、そのものを殺し、信長の純粋さ、無垢さを利用して、低い声や新しい演出と釘を打ち、低き部分を引き出すことに成功した。光秀殿と築いた世界、関係や目標、それらの陰の部分を突き、安土城の建設までさせた。時には手となり、足となり、密偵を野に放ち、光秀や松永、ひいては洛中中にいたるまで、情報を手に入れた。面白い。幼きとき、飯や汁に飢えていた私が今では情報に困らない。国中の情けをしっている。情けをすべるものは心を制する。心を制する者は金には困らん。私は織田家中の宰相だ。柴田勝家とは違う。私は侍ではない。私は情けを制するものだ。うまれはいやしくも、その卑しいものに頭を下げるものはあまたといる。今の私にかなうものはいない。この間も、信長様に松永を殺させたのは私だ。厳密には情報を与えただけなのだが、魔法の低い使い方を指南したまでだ。たのしかったぞ、あの、優しく、無垢な信長がいまでは狂人だ。元々、心の中に家族など巣くうものは狂人だが、その声が聞こえるものを導きと称して、利を得る。これほど愉快なことはない。私は続けるぞ。続けて、織田家中を太らせ、天下を文字通り、統一する。そのために、信長を導き、頭を下げさせる。このサルに。必要とならば、光秀も殺す。おや、エヴァンゲリオンか。マリでもよぶか。物売りのマッシュルでもよいぞ。アスカか、レイか。そんな名前などどうでも良い。物語など名だけだ。情けを制する者こそが世を制する。さぁ、信長様、あなたは私の事さえ、見ていればいいのです。その無垢な目をこちらへ、唇はやさしく。声は低く、呼吸は真冬の里の外の風のように、顔は悪女のように、ささやきをもって。思い出など消し去り、なぜ、消えたと思い出に怒るのです。さぁ。

マッシュルを、呼べ。エヴァンゲリオンを呼べ、アスカを呼べ、レイを呼べ、シンジを呼べ、マリを呼べ、カヲルを呼べ。光秀を呼べ。なんでもよい。しかし、誰一人として来ないであろう。誰の叫びも届かぬであろう。オレンジの髪の彼女はもういない。この私が導くから。