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新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 戦 麒麟が来る

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今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 戦 麒麟が来る

 信長は目にあまる。なんなのだ。夢や皆が喜ぶ。夢、夢だと。ふざけるな。俺は茶器が好きなのだ。わびさびを理解せぬものにこの国のかじ取りはできぬ。魔法を学ぶ。歌や踊り。ふざけるな。漢詩も和歌も知らない。お前に何ができる。光秀殿はなぜあのようなものについているのか。理解に苦しむ。聡明で学びがお得意で先見性がある。もちろん彼らが支えあい、時を重ねていたのも分かる。されど、もうよいではないか。このままでは新しき世は新しき世という名のさびた刀となるぞ。知っているもの。分かるもの。懐かしきものにとらわれるとそれは悪しきものを呼ぶのだ。その中に知識を身につけ。研鑽を積み、腕を磨くことこそが大切なのだ。温故知新という言葉がある。人は前にしか進めない。古きを学び新しきを知ることは人間しかできぬことだ。だから、私は、茶器やわび錆が好きなのだ。風雨にさらされた石に苔が蒸すのを見たことがあるか。藍は藍より取りて藍より青しという言葉を知っているか。それがなくば、唐時代に習おうとした室町幕府の家中どもと同じになるぞ。光秀殿は危険だ。なんとしてでも、距離を置かせねば。批判してきたが何やら親心のような話になってきたな。食うか。食われるかの時代に親心とは不思議だ。思えば長い、岐阜の山里にいたころより知っている。光秀殿が何か、大きな夢のために苦心していたことも知っている。夢はなく、目標があるだけ。ただ、信長の父として模範を示しているだけ。などとおっしゃるが光秀殿はそれが夢になっている。そして、その先を見据えていらっしゃることも知っている。分かるのだ。私にはそれがわび錆だ。でも、やはり、危険だと感じる。現実は美しくない。なにかと手間がかかる。だれかを意図せずに踏みつけていることもある。それが気がかりだ。特にあの、藤吉郎という男。気をつけねばあの男は成り上がりものだ。それでいてものも大切にしないようだ。羽振りがよく頭もいいが心が百姓だ。何、百姓をバカにしているのではない。百姓は農業をつかさどるものたちだ。この国は百姓により回っている。司る。回っているというと聞こえがいいが生臭い話をするなら、抑えられているということだ。この国で一番強いのは官吏でも、武将でも、武門でも、武士でもない。百姓なのだ。坊主どもですら、抑えるのに苦慮している。ここに百姓も加わるとなると恐ろしい。フェイトちゃん。フェイトちゃんで、やっているがあのものは恐ろしい。どこまでも、どこまでも伸びるぞ。野心あるものは柔軟だ。恐ろしい柔軟さだ。しかし、そこにわび錆や知識があるとは私は思わん。ならば、ここで信長に戦を仕掛けたいと思う。守らねばならん。声を上げねばならん。大義なき、力にあらがうために。それがわび錆だとわしは思うからだ。

 この間、信長と模型屋さんに行って信長が「エヴァだー。おにーさん。漫画―。これ。紫―。と笑っていた。その時、秀吉にも「赤いのー。アスカちゃん。」と見せていたがその時、展示品の腕がちぎれてしまったのだ。私は「秀吉殿。おれましたぞ。」といったが秀吉殿は笑って「今は、私は。フェイトです。魔法の住人です。魔法会にはそのような考え方はありません。」と笑った。私は、物の名前に敬意を払わぬものは身を亡ぼす。」と思っている。だから、きっと、にらんだ。秀吉殿は「光秀殿にできて。なぜ、それが久秀殿にできぬのです。笑っておけばいいのですよ。捨て置けばいいのですよ。思いなど。特に些末な余白などは。」と不気味に笑われた。光秀殿もそこまではおしゃらない。明るい力がそこにあるはずだ。しかし、秀吉殿は他人を攻撃するためにそれを身に着けていらっしゃる。それが私は恐ろしい。松永は「しろーい。レイだって。イヒヒ。」と笑った。今日は光秀殿はいなかった。この時間が私には何やら不気味で、秀吉殿が恐ろしく。導くものが違う。色が変わる事は。こんなにも恐ろしい事なのか。と思えた。そう思うと、プラモデルがはらりと下へ落ちていった。白いプラモデルが灯りに照らされて白く雪のように輝いていた。それはとても美しかった。それをしり目に信長は「こっちは、13号機。二人乗り――。」と笑っていた。秀吉はそれを聞いて「13号機でござります。上様。」と笑っていた。私はそのときの13という響きがいつまでも耳に残って恐ろしかった。この恐ろしさを止めるために戦をせねばならん。どこぞの娘がどこぞの店で坊主に震えていた。わしはその震えを止めてやりたいと思った。娘が震えるなどあってはならん。眼鏡には良いもの。移さねばならん。悪しきものを見たとて自分で判断できるようにならねばならん。そのために私は戦を決めた。