私はこの国を平らかにしたいとよく言われるが。平らかとはだれにとり、平らかであるのか。民にとってか。武士団にとってか。私は寺にいたいのだ。寺で仏の道を収めたい。
俺は、この世界に残る、大人物になりあたい。その道中で田村ゆかりさんが俺を吹き替えてくれれば本懐だ。
私は、弓を引いたことも刀を振るったこともない。私にあるのは今日を読み、毎朝、決まった時間に寝起きし、煮炊きし、身を清め、托鉢に出かけるのみ。
俺は大人物になる、そのためにこの尾張を治める。我が家は、名家とはいえぬ。言えぬが俺には夢があり、若き血も手に入った。大魔法使いのなのはちゃんも最初は弱かった、最初はだれでも、序盤からだ。
私はこの国の事は分からぬが、寺の庭の木の葉が落ちる事は分かる。落ちた葉は死んでおると良く申されるが、私は落ちたのではなく、代が変わったと思う。そのようにして命は巡り、若木から朽木へと変わるのだと思う、道はどこにでも続き、どこにでも行けるというのであれば私は飢えているものたち、子ら、先達を助けたい。救いたいのだ、私は力とは武ではなく流れる水が大きな岩を動かし、小さな苔が巌に萌えるように共に生きるために必要な力もあると思う。私はこれも仏の道の姿だと思う。
なのはちゃんはかわいい。子供時代から大人まであるから。俺はジュースを飲む、今日はコーラにしよう。俺は今、尾張を攻めている、いつまでも血にこだわるものの子らを攻めている。血か、血が良いか。貴様は血をもって収めると、申すか。ならば、我が実績の一つとなれ、我が刀のさびとなれ、なのはちゃんのように笑うためにはさびを増やさねば、さびというと俺は手は抜かぬぞ、ゆかりんのように丁寧に歌うのだ、
恐怖をもって、怖い心をもって国を治める事、血をもって威光をもってその地を治める事は違うからね。魔法はなんだってできるよ。だから、何をするかが大切なんだよ。それが積み重なっていいものを連れてきてみんな笑えたらそれはいい魔法だよ、私の力はそんな力。
私の力はなにもない。けれども、空を見て時間が進んだということは分かる。何もなせなくとも、何かをなしたいという心はある。この地のために何ができるかを苦心する事、それが仏の道であると思う。さすれば、この国は平らかになるであろう。
俺には力がある、力とは学べる、空とは高く飛べる。赤いリボンに風を感じてどこまでもすべては俺のため、すべては一つのゆめのため。あるいはなのはちゃんが懐で笑っている日のため。
私は何のために生きる、生きるために死ぬ。死ぬために生きる、生きるために死ぬ。死ぬとは仰々しい言葉だ。私はただ、寺にいたい。ただ、平らかに、ただそこに山があり、川があり、里があればよい。
俺は進みたい。いい酒を飲み、作品が出来、それに声を入れる。時に共に悲しみ共に怒り、共に笑う。それが巡り、自分の所に帰ればよい。それが巡り、時がたち、進めばよい。ただ、そこになのはちゃんが笑っておれば良い。
私は誰のため、齢を重ねても分からぬ、声もしゃがれてきた、ああ、南無阿弥陀仏。
「ふんふん。もうしらないもん。魔法で行こう。」
死にとうない。死にたくはないのだ。私はただ、平らかに。
そうだな。次に行きたいな、ともだちともっと増やして、どんどん前に進むんだ。レッツゴーだよね。
私はただ、ただ、ただ、南無阿弥陀仏と唱えたい。
魔法をとなえるよー。そーれ。えへへ。