カオルの声真似を聞いたよ。
カオルの声真似を聞いたよ。 声真似はいい。ココロを洗い流してくれるゥ。わーい。
とても、よく似ていたよ。よかった。とてもネェ。わー。
カオルの声真似を聞いたよ。
カオルの声真似を聞いたよ。 声真似はいい。ココロを洗い流してくれるゥ。わーい。
とても、よく似ていたよ。よかった。とてもネェ。わー。
鎌倉殿の13人 ノイズキャンセリングイヤホン
兄さんが死んでしまったことを今知った。東国中でも兵が集まってきているみたいだ。でも、一枚岩ではないみたい。俺は、俺はただこうやって声真似聴いてジュースのんでいたいだけなのに。なんで良くないニュースばっかなんだよ。俺はたださ。でも俺思ったんだ。こんな気持ちで聞いてもいいことは何もないって。これ聴いてる間にも他の奴らは力を付けてくる。俺、思ったんだ。戦ってる時でも声真似の事。考えりゃいいって。そうすりゃ俺は負けねえって。でも、血は見たくねえよ。コーラと声真似がいいよ。やっぱり。だから、今、戦ってるんだよな。俺。だから、俺頑張るよ。もっとこう。頑張るよ。いやなニュースとかさ。いやな事ほど聞こえるもんだってわかったよ。もっといいイヤホンが欲しいとおもったもん。イヤホンしてても聞こえるもんなんだよな。やっぱりさ。平氏も武田源氏もどうでもいいのに。聞こえてくるよ。やっぱり。
鎌倉殿の13人が面白いです。このドラマは登場人物がワルだらけなので大変新しいドラマだと思います。武将やサムライというよりはアメリカの西部劇のカウボーイやガンマンのように自分の夢や欲望に素直な所が新しいと思います。どんなに荘厳で厳かな雰囲気でムードを作っても人は必ず死んでしまう。という刀や戦が命を奪ってしまう怖いものとして書かれている所が大変良いと思います。ひ弱な主人公が自分なりに戦う理由を見つけてそれが人の命を奪ってしまうことになろうともその世界であがいているのが素敵だと思います。
今日はほのてんてーさんの声真似を聞きました。
よかったです。ぽぷらちゃんがよかったです。それからニセコイのマリーちゃんがほのてんてーさんの声真似の中にいたので青だと思っていました。
ニセコイのマリーちゃん。いろいろ思い出があります。ここにきて向田邦子先生の言うところの気持ちがわかってきて、少しずつ心の幅が広がってきたのかなと思います。
今日のニセコイのマリーちゃんは昔のクラスの同級生にあったような、お盆の親戚の集まりでおお、君もきたのというような。今は北京オリンピックをやっていて冬なんですけれど心のどこかでひぐらしが鳴いたような今のぼくはあの頃の僕とは違って年を重ねてしまいましたがああ、あの時確かにあの時に僕と一緒にいてくれたよね。と少し、哀愁を感じました。キャラクターを思いかえしてキャラクターの音を聞けばその時に戻れるのかなと思いました。戻るのではなくて今だから感じられる思いもあるのかなと思いました。
君も頑張っているのか。そうか、またどこかで。
ほのてんてーさんがニセコイのマリーの話をしていました。彼女は良い人です。僕もそんな健気な子がいたなと思いだしてしみじみとしました。ニセコイのマリーちゃん。懐かしい名前です。懐かしい名前。思い出、少し僕にもそのような思い出ができつつあるので僕もまた人生経験、思い出が増えてきたのだと感じました。
忘れている事は奇妙なものである時にふとわいてくる。
思い出というものは不思議なものでその場所になくとも心のどこかにしまってあってそれが使っていない古びたトランプのように収まっているものです。と私は読んだ。トランプ。こじゃれた記憶をお持ちでございますね。と一つ。そういうと同時に私の中にも何かこじゃれた記憶がないか考えてみたのだがこれまたどこまでいっても百人一首とお線香の香りばかりで何も洋風のこじゃれた記憶などなかった。心に深くあるのは幼いころの海の記憶だけだった。その浜で父が相撲をしている。私の記憶はトランプというよりは父のだらしのない太鼓腹と少し広い胸板だけだった。どうやら私の記憶のどこにもトランプはなかった。思い出すのは浜辺に立つ父の姿。父の太鼓腹だった。でも、これも確かにあったもので確かにあの時あの浜に立っていたのだ。