あれは、わたしが、高校生の頃だった。あの頃、私は、バレーボールに打ち込んでいた。
高校の頃は、バレーボールに打ち込んだ。
先輩は、厳しかったけれど、スパイクやサーブの練習して、うまくできると、ナイス。のぞみんと、褒められた。
後輩のゆめちゃんたちも、のぞみ先輩は気が強いです。タフなハートを持っていますね。わたしも、のぞみ先輩みたいになりたいです。 プロポーションも、よくって、頑張り屋で、素敵です。先輩。と、言われた。
プロポーションがいいか、悪いかはわからないけど、スポーツをするんだから、それなりに、いい体、動きやすい体は、必要かな?と、思って、体のケアは、この頃から、よくしていた。
せんろ議員の秘書になった今も、体のケアやトレーニングは続けている。私が、だらしないと、せんろ議員も、一緒に、あら、のぞみさんも、だらしな組に、入会するの?いいよ。ボカア、そん時は、親分さんだ。貫太郎だ。のぞみさんは、しずえだな。うん。と、その日はずうっと、寺内貫太郎一家の話をして、俺はな。しずえ。ようくきけ、俺はな、しずえがにくくて、言うことを聞かないんじゃないだ。俺が、ふざけたいから。ふざけるんだ。わかったか?と、貫太郎の声で、私にそう言うんだろう。
だから、私は、そんなことにならないように、
だらしなくは、しない。これは、もう心に決めている。
私が、高校二年生の時、ワコクのハンサイ地方を、地震が、襲った。とても、大きな地震だった。その時、私は、ハンサイ地方には、住んでいなかったけど、横に倒れた高速道路、崩れた家の瓦礫、火事、瓦礫の下敷きになって、亡くなった方など、それが、大きく報じられた。
その時、私は、バレーボール大会に向けて、練習していた。
毎日、汗をかいて、練習が、練習する前は、ユニフォームも、汗ひとつないんだけど、終わる頃には、汗だくになっていた。
汗をかいて、勝つために、みんなのために、仲間のために、頑張るのは、とても、気持ちが良かった。
バレーボールは、右と、左にコートが分かれている。ネットを挟んで、右側と、左側に分かれて、戦う。相手と技を競うわけだ。
誰かと、戦うことは、恐ろしい。何回、やっても、心のどこかで、緊張しちゃダメよ。のぞみ。と、鼓舞するんだけど、緊張してしまう。今まで、やってきたことが、ちゃんと、できるかな?と、不安になってしまう。けれども、不思議なもので、みんなと、戦っていると、気持ちが、高ぶってきて、気持ちが良くなって、みんなとなら、仲間となら、やれるって、思える。これ、とても、不思議よね。バレーボールは、みんなで、戦うの。ネットを隔てて、右側と、左側に分かれて、同じコートに入って、戦うの。これが、バレーボールのいいところだと思う。みんなが、いると、一人じゃないって、仲間がいるって、仲間のために、頑張れるって、思える。だから、私は、バレーボールが好き。
もう長くやっていないけど、今でも、たまに、テレビでやってるのを見ることがある。
そんな時、私は、練習が終わった後、家に帰って、なんとなく、テレビをつけた。
そこには、ハンサムな男の人が、背広に藤色バッチをつけて、被災地の体育館に避難している人たちに、救援物資を持ってきていた。
その人の他にも、ツヤマさんと、言う人も、救援物資を持ってきていた。トラックにたくさん積んで、持ってきていた。
私たちは、その二人を見た時、カッコいいと、思った。こんな人たちが、いるんだ。と思った。私は、そう思って、テレビのテロップを見たそのには、清和党 若手議員有志を集め、被災地へ。仁愛会と書かれていた。
清和党と、言う言葉を知ったのは、その時だった。その言葉は、私が知る前も、ずっと前からあった言葉なんだろう。でも、その時、私は、その言葉を知った。その時、私も、この人たちと、一緒に、みんなの役に、社会の人の役に立ちたいと、思った。
仁愛会、いい名前だなと、思った。
仁愛、人を慈しむ、心。人を思いやる心。とても、いい言葉、爽やかな言葉だなと、思った。
そう思うと、私も、ここでこの人たちと、一緒に、働いて見たいと思った。
私が、そう思っていると、仁愛会 清和党有志青年部 部長 せんろ テツロウ さんと、インタビューが、始まった。その時、この人、とても、爽やか、誠実な人だな。と私は、思った。
私が、そう思っていると、その人は、
我々が、きても、あまり、良くない。今は、やめておけ。と、いう、意見も、あるでしょう。
しかし、しかしですよ。私は、みなさんを助けたい。私たちには、力がある。清い心がある、であるならば、この力を批判されようとも、ダメだと、言われても、活かさない手はありません。私は、議員です。であるならば、私に求められたことを若手ではありますが、少しずつ、やっていきたいと思います。と、爽やかに、力強く、語っていた。
私は、そのときのせんろ議員の顔が忘れられない。爽やかで、とても素敵だった、
それは、バレーボールの、スパイクが、決まったときのようなさわやかさだった。
私は、今も、このときの気持ちを胸にほぼ毎日、内田さんと、二人体制で、せんろさんの秘書をしている。政治の世界は、バレーボールの世界とは、全然違う。だけど、私は、どこか似ていると、思う。
今日は、昔のことをふと、思い出した。
今日は、リーフリィの大使が、せんろ議員の肖像画を絵描きさんに描いてもらっていた。
そのときのせんろ議員の顔を見て、昔のことを思い出していた。
せんろ議員は、出来上がった絵を見て、なあ、姉ちゃんよ。これ、おいらに似てるよな。と、
トビイたけしの真似をしていた。
あれ、いつもの猫は、終わったの。と、思って、議員、猫は、終わったんですか?と、聞いたら、せんろ議員は、そだね。今は、たけしだね。のぞみさん。似てる?と、なんかに聞いてきた。
それを見て、この人は、もう。と、思った。
そのときの顔は、なんだか、いたずらっこみたいだった。
そのとき、私は、結構、可愛いと、思ってしまった。
だけど、私が、好きなあなたの顔は、あのときの顔です。あなたは、あんな顔も、できるんですから、しっかりしてください。と、思っていた。
私が、そう思って、せんろ議員を見ていると
せんろ議員は、何見てるんだよ。のぞみ。バカヤロウ。と、トビイたけしの真似をして、怒った。
その時、私は、なんですって。と思って、きっと睨んだ。すると、せんろ議員は、のぞみさんごめんなさい。と、いって、青い顔をしていた。