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町山智浩さんと進撃の巨人

何かがきっかけで、すべてが変わることがある。ある時、平和な壁の内側に、巨人がやってきて、壁の内側で平和に暮らしていた人々を食い殺し、全てをなぎ倒し、破壊限りを尽くしていった。

おの日まで、主人公のエレンは、壁の向こうの世界に、憧れている一人の少年だった。
あの日までは、ミカサもまた、恋に、ウキウキしている少女だった。
壁の内側は、あの日まではゆっくりしていた。ゆっくり時間が流れ、風は、爽やかで、人々に活気があり、笑顔があった。しかし、巨人が現れ、全てを壊していった。
そして、ある男も、また、夢に向けて動き出した。男は、ある時、がれきに埋もれていた少女に戦う術を教えた。そして、みずみずしいリンゴを与えた。
少年は、生き残った、しかし、助けられなかった命や、ミカサのことを思うと怒りがこみ上げてきた。
そんな少年は、戦うことを決意した。
しかし、戦いの場に出ても自分の心のやり場のない怒りは、治ることはなかった。
ある日、少年は、男に出会った。男は少年にも、戦う術を教え、みずみずしいリンゴを与えた。
少年は、戦う術を得て、自分の怒りを力に変え、技を使い、戦っていった。
人間は、自分の力を技に変えることができる。
技に力を乗せ、戦えるのだ。
少年は、力を得た、技を得た。
少女もまたそうだった。
しかし、これは、今までの日常には、戻れなくなったということでもあった。
男が少年と少女に技を教えたのは、自身の夢の実現のためだった。何も知らなかった人が何も知らずに生きてきた人が、技を得、力をえ、戦いの中に立たされた。
この門を通るもの一切の望みを捨てよ
という言葉とともに。
 
進撃の巨人の評論を読みました。その評論によるとシキシマは、無垢な、少年と少女の前に現れた悪魔のような存在なのだそうです。
シキシマは、悪魔だから、いい人なのか悪い人なのか、わからないミステリアスな人として描かれているのだそうです。
 
悪魔に教えてもらった力と技をエレンとミカサは、何に使うのか?エレンは、自分の怒りを力に変えて、強く前に進んでいく。そして、その力は、悪魔の力をも、凌ぐ、とてつもない力となる。これは、エレンの地獄巡りの物語、悪の誘惑に触れ、戦う術を得た、人間が答えを見つける物語。
この物語は、僕の心に残りました。
答えを模索し、大変な目にあい、もがいているエレンの姿は、僕の心につよくのこっています。
この作品は、僕の好きな、町山智浩さんが、関わっている作品です。
町山さんは、アメリカの情報や映画の情報、映画の面白情報を教えてくれるので、町山さんが、好きです。
町山智浩さんが、この作品を通して伝えたかったことは、何事も学べということなのだと思います。そして、その学んだことを自分のものにして、頑張っていく事が大事だという事だと思います。何も知らない人が何かを知った時、そのことをどう思い、考えたのか。このちからをどう使うのか。という事だと思います。