ブログ声真似主 nezuzyouziのブログ

ブログ声真似主です。よろしくお願いします。

何かをまねるという事について。

僕は何かをまねるのが好きだ。場所をまねる。映画をまねる。人の呼吸をまねる。話し方を書き方をまねる。それが好きだ。書いている間はいろいろな人になっている。カヲルにも、向田邦子先生にも、一之助さんにもなっている。新聞を読んでいると文章が目に焼き付く、リズムが身につく。そして、ニュースもわかる。てぇてぇさんでも、呼吸をまねているときがある。山田康雄さんでもよい。しかし、一番似ているのは今のところ、向田せんせいであろう。次に落ち着いた人。声の冷たい人。石田彰さん。いや、三ツ矢さんでもいい。僕は声の冷たい人。冷たい場面から、あたたかな場面に変わるところだけは書けるようになってきた。それは僕個人が声が、思考が冷たいからであろう。そこに苦労しているのだが、また別の話であって、シェルドンでもいい。シェルドンというのはビックバンセオリーというドラマに出てくる学生の名前でこの人はうまく回る。形になるのだ。今は、何かにつけても向田先生である。ここ四年はそうだ。その次にシェルドン。その次にカヲルとくるのだが、結局は同じである。そこに色を付けると、ラージ。陽気なインド人。しかし、心に影があり、時々、インドを思い出す。留学生である。僕は何かを渇望する人の文が得意なようだ。しかし、反面、明るい人は苦手であると感じる。それにしても、何かをまねるという事は面白い。同じものでもまね方が人それぞれ違うのが面白い。ブログでも、スタートの時点から人によって違うのが面白い。その方なりの考え方の癖がわかるのが面白い。しかし、その人は本当にそうなのか。嘘や情報の調節、そういうことにして書いている部分はないか。なのどの実際との違いなどがるのが声真似に似ていると思う。その人とそのものは違う。いろいろなところで良く聞いた言葉だ。それが今、問われていると感じる。しかし、書くことは面白い書くと心がすっきりして考えがまとまるから。書いているときは自分の考えが普段よりまとまるように思う。今日は声まねの収益化に関する記事を読んだ。ものまね。まねるということの難しさを改めて、思い知った。しかし、僕はこれが好きだ。これを続けていきたいと思うし、続けていきたいと思う。書いていくと世界が広がり、考えがまとまり、そして、何かになれる。そして、何かになって新しく学べる。こんなに谷しいものはないし、何より自信になる。自信がつくのが良いと思う。そして、自分の経験や感じ取ったことで世界が広がることも楽しいと思う。

こんなによいものはない。僕はそう思う。