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一人の忍び。麒麟が来る。

一人の忍び。麒麟が来る。

私は、今、走っている。秀吉方から、藤吉郎様にばれてしまったのだ。私はしがない薬屋だったのに、駒さん。ありがとうございました。私は三河の生まれでございます。三河では大変、体が小さいほうで身長もありませんでした。駿府では我々、三河ものは差別を受けていました。しかし、世に同じ顔、同じ声のものはおらぬように違いがありますのでそれは区別なのかもしれません。元康様をこんな小さなころから見守ってまいりました。元康様はそのころは武千代様でございました。今川殿のもとで10年近く蟄居をしておりました。私たちが弱いばかりに、苦杯をなめさせる結果となり申し訳ございません。私はあなたの母君から対役を仰せつかっているにも関わらず、遠くから美馬追っていることしかできませんでした。私は武将ではありません。刀ももったことはありません。私にできることは陰から敵に毒を盛り、野を走り、山尾超えて、情報をつかむことだけ。私は幾人も殺してしまいました。正々堂々とした戦でではなく、虫うめく野の闇からかまいたちのように手を下す、酒を売りつけるしかなかったのです。その中で人をだまし商い人のような顔をして笑う。時に優しいふりをして人の命を奪ってきました。私はいつもこの腕に命の勝を決める天秤を持っているような気がして怖かった。しかし、そんなある日、私は光秀様と出会い、駒さんと出会い変わる事が出来ました。駒さんは薬を作っていました。人を殺すのではなく生かす薬を私は思いました。ここでなら買われると役に立てると、罪滅ぼしができると、しかし、元康様につかることはやめられませんでした。私は三河ものだからです。三河はとても良い土地です。今川様がおっしゃるような雅な町ではありません。しかし、我々は辛抱強い今川様の雅な舞の陰で、今川を支えたには我々、三河ものです。三河がこの手を足を使って野や山を切り開いてきた。とても、雅で趣ある歌を歌えるものはいませんが仕事歌を歌えるものや美しい織物を作るには欠かせない生糸を作れる古老たちもいました。大歌人も、武士もいない高名な人もいない。誰ぞ、彼ぞも分からない。そんなものたちにより、今川様は作られてきたのです。そして時がたち、いつかはそれが通じる日が来ると思い私は元康様に、家康公に仕えてまいりました。公というのは信長殿だけのようですが私には家康公こそが公でございました。光秀様にはこのことは黙っておりました。光秀様は信長様の腹心として骨身を削り、邁進しておられたからです。時に、信長様に父のようにせっしておられたのが心に残っております。あの方は、とても賢いお方だ。本当の賢さとは聡明さと我慢強さを持ち合わせた方の事だと感じました。家康公にもそのような方になっていただきたいです。私は最期まで、家康公の家臣です。家臣団にははいれませんが三河ものとして殉じたい。と思います。皆にあいたかった。一め、駒さんに昨日、生きて帰ってきてくださいと薬をいただきました。私とこまさんで作った薬でございます。私はあなたと薬を作るのが好きだった。人を殺める毒ではなく、人生かす薬を作れたことがうれしかった。ありがとうございました。駒さん。東庵先生。そして、光秀様にも、家康公にも、君主とはかくあるべしという方でございました。ありがとうございました。では、さようなら。

今、一人の忍びが風に消えた。近くに焚火があった。まだ、温かかった。