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いつもそこに君がいる。麒麟が来る

麒麟が来る。徳川家康登場

麒麟が来るに徳川家康が登場します。このドラマの家康には三河の人々、とりわけ三河武士と呼ばれる人々との約束があります。それは虐げられてきた三河武士に光を当てるということです。三河武士は今川氏にいいように使われ、徳川家康自身も歴史の荒波に家族を引き裂かれ。温かな家族団らんも経験することができませんでした。その代わり、織田信長と親交を深めることができたのですがどこかの場所に腰をすれて過ごすことができませんでした。手に汗握る、ドキドキワクワクな日々を過ごすこと、のちに歴史の英傑となる人々と過ごすことは楽しくて退屈しないでしょう。しかし、時々、母の胸や父の背中を感じたいときもあったはずです、人の生き死にやアドレナリンでへべれけになって立派な力を示す時、その陰に大けがをして救われるはずの命がどんどんと消えていく、苦しんで痛みだけを残していく。ということがあったでしょう。岡村さん演ずる菊丸は言いました。「我々が日のもとを歩ける時をおつくりください。」と言いました。いつものバラエティの半笑いの顔ではなく、寡黙な印象ですがどこか温かい、芯のある焚火のような目と声をしていました。いつでも、遠くでみていた岡村さん。そんな彼が家康に伝えました。次はお前の番だと伝えました。憎しみではなく、期待をかけました。本当は今にでも倒ししたいはずです。それを家康に菊丸は託しました。相手を憎むのではなく、託す、恨みではなく期待する。それを託した岡村さん。岡村さんの明るい声だから、あの顔だからできたことだ。と思います。いつも遠くで見ていた岡村さん。その方から思いの火を受け取った。その火は優しい火でした。焚火のような家族団らんのようなしかし、それは確かに家族団らんのそばにあったものです。それは消してきれいなものではないかもしれません。家族や共同体、あの居間のリビングの人々は煩わしいかもしれません。けれども、それはいつもそこにあり、岡村さんもまた遠くでそれを家康を見ていてくれていたのです。そこにいるけど、いないもの。応援してくれたり、励ましてくれているわけではないかもしれません。けれども、何かを感じることはできる。考えることはできるのです。

 今後、家康がどのようにして天下を取るのか。楽しみです。

岡村さん。いつもそこにいて、いつも誰かに聞かれている人。人にエールを送るなんて恐れ多いというかもしれません。けれども、彼はそこにいるのです。