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アフレコを探して。洛中散歩。麒麟が来る。

朝倉義景の息子を毒殺した室町幕府の官僚たち。これも将軍様をおまもりするためだと光秀に言う春門、彼には神罰が下ったのだ。光秀よ。お前だけがかの信長だけが将軍を担いでおるのではないのだ。我々のような屋台骨、なべ底の大根があってこその主らだ。よく考えて行動せよ。北面の武士の時代より武士は我々を支えると決まっているのだ。これからも良しなにたのむぞ。と春門は笑う。しかし、光秀は思った何がなべ底の大根だ。売店の売り子のことなど考えず豚の様にむさぼったではないか。売り子の手を安物の器かのようにはねのけたではないか。俺はお前より、あなたより、一井の彼ら、彼女らの方が美しいと思う。俺は損な人のために、光秀は思った。しかし、自分で言うのもなんだが怒りの対象が変わっていくのでこれだというものがなかった。俺は土岐の血が流れているのにたぎるような正義も燃えるような大義もなかった。武士ではなく侍になりたいのに俺に侍うものがなかった。皮肉なものだと思った。イライラしているがそれが腹の向こうをでない。俺の腹の虫は俺に似て居所がいいらしい。しかし、それ以上はなにもない。春門やなのはのようにふるまえたならどんなに楽か。自分の大義やゆめのために燃えられる。燃えて輝ける人間はどれだけいるのだろうか。夢のために生きて夢のために死ぬ。そんな綺麗なものが見られる人間でいたい。しかし、洛中を歩けば迷える人は多くいる。俺はそれを見て居心地がよく感じるなぜだろう。戦で家を焼かれた者、着るもの、身につけているものをうる者。笛や太鼓を鳴らし、田舎芝居を打つもの。彼らをみると美しいと思う。彼らの方が春門や室町幕府の者たちより美しいと思う、物事は比較級ではい。見方一つだ。俺はそんなご高閲をできる人間ではない。しかし、此度の一件は我慢ならない。しかし、俺は世渡りがいいのでタガがなかなか外れない。俺の心の仏は徳が高いようだ。まぁ、さても、さりとても、このような場で書いても仕方ないのだが、少なくとも、見てくればかりをマネて輝いている者たちよりはいいだろう。しかし、俺もまた、同じかもしれない。武士ではなく、侍となり、蛮族ではなく大義のために立ち上がった禄を持った大名となる。そんなものはもういないのに、かの者たちのように無き者たちを探して、その中に生きたいと思う。そう思うとかの者たちと言うのは失礼だ。かの人たちだ。無きもののために生きるもの。無きものを探すもの。

「光秀。なにそれー。大きな国をつくろーよ。」

あなたにいってもわかりますまいな。俺がそういうと、彼女は「ウン」と笑ってケラケラと笑った。