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おくにことばのまき。パラレルファクター。政治家稼業。

おくにことばのまき。

僕は、今日、真美子さんと、一緒に、小野道にある喫茶店へ行った。

このあたりの人たちは、喫茶店の事をきっちゃてんという、本当は、こちらの人とも、喫茶店と言っているのかもしれないが、
僕には、そう聞こえた。同じ国にいても、話し方がちょっとずつ違うとは、思わなかった。

僕は、恥ずかしい話、ワコクは、どこへ行っても、同じ言葉を話すと思っていた。

僕も、かなで山に生まれ、小さいころは 、かなで山の言葉で、話していたのに、そんなことも、忘れていた。

以前、せんろ先生にも、「君は、そんなことも、知らないのか。?君は、もっと、色んなところを見て回るべきだ。」と言われた。
僕は、その時、「すみません。先生。私は、まだ。若い。青いのです。また、勉強いたします。」といった。

僕は、この方言を知らない、あるいは、忘れてしまったことについて、このように叱られるとは、
思っていなかった。
政治家たるもの、海外の政治の指南書や、過去の歴史を顧み、後世に活かす。その方が大事であると思った。

その地域の文化。その土地、あるいは、海外でも、いい。その場に行って、話。その土地の人の息遣いを感じる事、
そのようなことが、大事だということを、こちらに来て、学んだ。

小野道県連は、厳しい。僕は、他県の人だから。「よそもんじゃ。」と言われる。「島流しじゃあ。」とも、言われる。
僕は、人が、いいんさったとき、ほうか。僕は、よそもんなんじゃな。」と思う。
その時、僕は、「ああ、やはり。せんろ先生は、僕を、かなで山じゃあのうて、小野道に島流しに、しんさったんじゃなあ。」とおもってしまう。
僕は、そう思いながら、喫茶店で、真美子さんを待った。まだ、来ないのかなと思って、待った。
僕は、窓見た、窓の向こうには、小野道の街が見えた 小野道は、僕がいたかなでやまより、開けていた。
山はないが、海があり、町も、モダンだ。かなで山にいたときは、なんとも思っていなかったのに、小野道に来て、
小野道の言葉を聞いていると、ふと、かなで山に帰りたくなった。地元の言葉の事も、知りたいと思うようになった。
皮肉な話だ。僕は、かなで山にいたころは、少し、いらいらしていたかもしれない。
故郷の事や国の事を思うあまり、「せんろを止める。あいつを生かしておくと、国は、ワコクはだめになってしもうんじゃあ。」とおもっとった。
けれど、こちらに来て、真美子さんと出会って、小野道の言葉を、肌で感じて、僕のしっとるとおもっとる。ワコクというものは
とっても、せまいんやねえ。」と思うようになった。せんろ先生がきいとりんさったら、そんなことは、当たり前じゃあというだろうけれど、
僕は、小野道へきて、真美子さんと出会って、それがよくわかった。

僕がこれまでの事を思っていると、真美子さんがやってきた。こちらの言葉では、きんさったという。

こっちの言葉には、少し、なれた。

真美子さんが来ると、真美子さんは、「あ、ごめんなさい。安達さん。安達さんは、議員先生じゃあ、いうんに遅れてしもうた。

「ごめんなさいねえ。」といって、申し訳なさそうにした。僕は、それを見て、「いや、いいです。」と、言った。

僕がそういうと、真美子さんは「いいえ、私が、ぬぼーっと、しとるけぇ、いけんのです。今日、安達さんと、遊ぶ、いうとったのに。私。忘れとりました。ごめんなさい。」と、頭をぺこっと、下げた。
この時、僕は、真美子さんは、偉いなあと思った。僕だったら、人に、きちんと、謝れんけぇね。と思った。
それに、真美子さんは、女優じゃあ。ほうやのに、きちんと、偉そうに、線と、謝った。

僕の紅鷹党の中には、年が上になると、どうしても、エラそうといえばいいのか、少し、気が大きくなってしもう人がいる。
みんなでは、ないけれど、おるには、おる。やけども、真美子さんは、偉そうにせんと、僕にあやまりんさった、
僕は、それを見たとき、凄いと思った。
僕が見ていると、真美子さんは、僕を見て、「なんかついとります。?安達さん。」と、言った。

僕は、「なにも、ついとりません。真美子さん。」と、言った。

この時、僕が、少し、かとうなって、そういったから、真美子さんはふふ。っと笑った。

真美子さんは、笑うと、「何じゃあ。国会議員さん。みたいじゃあ。」と言って、笑った。
僕は、真美子さんが笑うと、「職業病ですけえ。」と、笑った。

僕が、そういうと、真美子さんは、眠そうに、「ほうですか。安達さん。なんじゃあ、こっちの言葉、少し、うつっとるねえ。」と笑った。

僕は、それを聞いたとき、そうか。と思った。この時、僕は、ふと、せんろ先生の事を思った。

せんろ先生は、僕に、こういうことをもっと、学びなさいと、思って、僕を小野道に異動させたんだ。
机の上だけだと、ワコクが狭くなる。異なる文化と、言葉、方言と、かかわり、あって、自分の中のワコクを大きくする。
そうだ。僕は、ここに来るまで、小野道の言葉を知らなかった。小野道の人は、喫茶店の事をきっちゃてんという事を、知らなかった。
そういうことを、せんろ先生は、思いんさったと思う。

そう思ったとき、僕の生まれたかなで山の事を思った。
かなで山にも、いろんな言葉があったのう。と思った。

そう思うと、真美子さんに「あの、かなで山にきませんか。と言っていた。

いきなり、何、いうおりんさるん。と思ったかもしれない、けれど、ふと、真美子さんを見ていると、その言葉が出た。

真美子さんは、「かなで山」ときくと、「あー。かなで山。私のウチがあるとこです。私、小野道の言葉で、はなしとるけど、
こっちの生まれじゃあ、ないんです。かなで山。なんじゃあ、懐かしいねえ。」といった。

僕は、それを聞いたとき、びっくりした。なぜなら、真美子さんの小野道の言葉は、完璧、自然なのに。
こちらの生まれでは、ないと、言ったからだ。それを聞いたとき、僕は、「ほうか。人間。言葉じゃ、ないんじゃねえ。」と思った。

僕が、そう思っていると、真美子さんは「あの、安達さん。座ってええですか。?私。」と、笑った。
僕は、この時、ああ。そうじゃったと思って、「ごめんなさい。真美子さん。座ってください。」といった。
真美子さんは、僕の前に座った。
近くで、見ると、肌が、綺麗で、白くて、さすが、女優さんじゃのう。と思った。
その時、僕は、少し、ドキドキした。僕は、これが、息遣いというのかと思った。

僕と、真美子さんは、ここの生まれではない。けれども、今ここで、おうた。人は、文化や言葉だけじゃない。小野道の言葉もお互い歌ってしもうた ほやけえ
大事なことは、そういうことじゃのう。そういうことでは、ないんじゃねえ。と思った。