ブログもの真似主 nezuzyouziのブログ

ブログものまね主 ねずじょうじです。よろしくお願いします

芸術の都 鎌倉殿の13人 

芸術の都

この福原から世を変える。平清盛が都を開いてからというものこの福原は栄に栄えている。古の桃源郷のように栄えている。町には活気があり、琵琶の音が美しく琴が鳴り、女人は踊り、生活の中には香りがある。そして沖には船があり、野菜も魚も取れる。私は福原の夜の月の美しさが好きだ。夜の浜の冷たい風も。夜の山の温かみのある風も好きだ。夜のの風。誠の闇、それがまだ残っているこの都が私は美しいと思う。私はこの都を千年、万年と続く都にしたい、私は昼に和歌を読み、歌い、仲間と和歌を比べる。歌比べである。この平宗盛の歌は後世に残るであろう。そして平氏も後世に残るであろう。そしてこの都。私が好きなこの美しき都、福原も後世に残るであろう。蛮族をうち果たし帝をここにお招きし政を行うのだ。古の時代から、歌があり、香がかおる都には政があるときく。それを聞くのではなく。実現するのである。現わすときは今なのだ。この都で今現わすのだ。政を現わすのだ。この都で、今この時に。

パパさんがみんなでご飯を食べに行ったそうです。

パパさんがみんなでご飯を食べに行ったそうです。とても美味しそうな写真でした。きらびやかで素敵だなと思いました。僕も食べてみたいです。僕も良い気持ちになりました。楽しそうです。肉寿司というお肉の寿司を食べていました。とても珍しいと思いました。このように旅の写真を見るのは楽しいです。

気持ちの使い方 鎌倉殿の13人。

今週のお題「好きな街」

気持ちの使い方 鎌倉殿の13人

 俺はこの町が好きだ。他より開けているし店だって多い。だんだんと栄えてきた。俺はこの町が好きだし俺らの頑張りよってこの町が栄えるのならもっとこの町のために働きたいと思う。俺は木曾方と俺たちが仲良くやっていきえるように手を尽くした。息子たちも救った。俺はこれでおっさんの駒が増えた。俺の顔を知っている豪族が増えたと思って嬉しかったんだ。木曽の息子方にあなたは甘いと言われたが甘くて結構だと思った。でも俺の認識は甘かったみたいだ。どうして俺は甘いんだろう。どうして俺は助けたい人を助けられないんだ。いつも。と思った。俺はこの町が好きだ。この町にある店も。CDショップも本屋も好きだ。そこで働いている人の顔が輝いて見える。町が栄えてきた。活気のある街には勝ちが寄ってくるとおっさんも言っていた。でも、こんな価値なら要らないと思った。俺は手を尽くした。息子方を守ろうと。おっさんの気持ちは木曽を殺すだけでは満足しなかった要だ。おっさんはその息子も殺してしまった。俺はそこまでしなくても良いだろという事で父さんと回ったんだ。でもダメだった。活気のある街には笑顔が寄ってくる。勝ちが寄ってくる。でもその礎にそんなものが使われているんだとしたら俺は嫌だと思った。俺はただ皆で暮らして声真似していたいだけなんだ。それが今ではこんなことに俺はこの先、たくさん手を汚していくんだろうか。木曽の息子方に言われた俺は甘いと言われた。俺はその時甘くて結構とこの口でいった。それがこの通りになってしまった。俺が木曽の息子方を保護したのにこの町に呼んできたのに。父さんと俺で木曽の息子方の今後を探ったのに。こんなことになってしまった。源頼朝は木曽の息子方を切った時、俺も切ったような気がした。俺はおっさんが俺には二つの顔を使い分けているような気がした。俺はその時ぞっとした。それと同時に俺は今、死んでいない。この町で生きているじゃねえかと思った。人が死んでも俺は死んでいない。好きなことをやって歌を聴いて声真似をきいて今ここにいるじゃないかと思った。そんな思いが頭の中を駆け巡った。俺も歌や声真似を聴くから振れ幅はあってもいいと思う。一つの物に対して色々なアプローチがあるのがいいところだと思っているから。こう思ったとき、俺もやっぱりおっさんと同じだなと思った。おっさんはいつも自分の理想の事しかない。やるとなったらもうやってしまう。それがどんな人間が相手でも確実に仲間に命令する。おっさんには心がないと思う。みんな自分の手でやってしまう。ここまで思ったとき、俺の心の中でこういう気持ちが出てきた。「自分の好きな事のためだったら、人間は何人でもなれる。それが声真似であれ、歌であれ同じだろ。無から有は生まれない。行動するしかないんだ。」と思った。俺はその気持ちに対してうるさいなと思った。俺はその気持ちに対して違うと思った。でもその考え方が嫌いじゃない自分がいた。そんな自分がいたことに驚いた。そんな気持ちを使って生きていることにおっさんもこういう気持ちを使って生きていることに気が付いた。そう思ったとき、俺は甘くて上等だと思った。

 

美しい声真似。

今日は一日、本を読んでいました。冬の運動会と言う作品でした。向田邦子先生の作品です。向田邦子先生は人情噺が上手い方です。笑いと人情の配分が素敵です。僕は向田邦子先生の魅力は最初使ったギャグが冷たい話でも帰ってきて最後には少しいい話で終わるという所が良いです。人情噺でも7種類くらいあってこの間の人形町の話しではそこから即身仏の博物館へ行った話になってふと、即身仏を見たときにお葬式の事やお通夜の事を思い出して暗い話なのですがそれが私にはここ良かったのよねという話になってお葬式でも人がたくさんきて良かったような気がすると書いていたのが向田邦子先生はやっぱりお笑いが好きなのだなと思いました。戦争中の昼間の空襲の戦争体験の話の時、お父さんがおい。どうせ死ぬんだ。たらふく食べて死ぬぞという事でありったけの美味しい物をお父さんが集めてきてくれて怖い仲にも楽しかったような気がするな。と笑ったそうです。ジャングルに取材に言った時、あんまりイメージと違ったようでがっかりしたそうなのですがまた自分の思い出や経験をそこで思い出すことができて良かったそうです。アメリカや外国の街並みが好きで少しずつ、横文字が生活の中に入っていくのね。といっていて時代の最先端をいくのに帰ったら落語を書いて、お笑いをかいてまた仕事の取材に出かける。不思議な人です。古典落語のようなお笑い好きなのに文章は洋風ででも出てくる人は江戸風味でおもしろいい人です。先生。僕は好きです。声真似も好きです。先生の世界や声真似の事をこれからも知りたいです。ある結果にはある過程が必要でそこにたどり着くにはいろいろあって最後には最初に戻る。これが美しいなと思います。

ハンバーガーを食べて漫画を読んで。鎌倉殿の13人

ハンバーガーを食べて漫画を読んで

俺は最近何も思わなくなった。音楽だけが俺の癒しになった。俺は黒くなっていく。心が冷たくなっていく。それでもいいと思っている自分が怖い。それを嬉しいと思っている自分がいるのが嫌だ。俺はまた平穏に暮らしたい。歌きいて声真似して。でも、そのためにはたたかわなきゃいけない。戦うという事は今まで以上に血にまみれて生きなければいけないという事だろう。

でも、あいつは違った。今日も戦のあとにハンバーガーを四個も食べて漫画を読んでいた。ひき肉を食べる。あいつは何も思わないのか。あいつは漫画の中に生きているのか。俺には考えられない。俺は歌に逃げた。逃げるようにバラードを聞いた。君が歌う。冷たいバラードを聞いていた。

 

俺は嬉しかった。俺は今日。自分の力をフルに使って漫画を読んだ。漫画は面白かった。ハンバーガーも4個も食べた。一気に食べた。ひき肉は良く引き、細かくして芯まで良く焼くこれが鉄則だ。ピクルスもまた、おいしい。ピクルスをつけるのは難しい。ただ、酢につけておけばよいというものではない。きゅうりにスパイスが良くなじむようにつけなければならない。戦とおなじように下ごしらえを良くしておくことが肝要なのだ。戦はいかに戦力を削るかが重要だ。ただ、子供の喧嘩のように殴ればよいというものではない。これもハンバーガーと同じで食べるのは最後だ。パンとハンバーガーそれからピクルス、それにケチャップに至るまでこだわらねばならんのだ。こだわったうえで漫画だ。そこに魔法の力だ。俺は暴れたいと思っている。暴れるにも準備が必要なのだ。面白い漫画もモイちゃんだけでは成立しない。魅力的なキャラたちがいて漫画は成立する。木曽義仲はそれが分からなかった。わからないもの。思慮が足らぬものなど捨て置けばよい。相手をしとめることに躊躇してはいけない。命とは使うためにあるのだ。恐れるな。それに肉を見るとおなかがすく。漫画も読みたくなる。自分の生きる場所は自分で作らねばならん。漫画を単純に読みだけ魔法を一つ使うにも頭を使わなければいけないと漫画に書いてあった。漫画はいろいろな事を教えてくれるな。ふふふ。魔法を使う。自分の力を使うのは楽しい。縦横無尽に過ごすのは楽しい。

俺にはわからない。俺は夢のために戦っている。俺は死にたくない。もっと歌を聞きたい。俺はもっといろいろな事がしたい。まずは家に帰ってゆっくりとまた歌を聞きたい。そしてまた家族で過ごしたい。おっさんも越えたい。

おっさんとまた過ごしたい。またいろいろ教えて欲しい。俺の悪党の師匠として。

 

ぽんさん。応援しています。

ぽんさん。応援しています。

今日はぽんさんにコメントをしました。ぽんさんは僕のブログを読んでいるそうです。

ぽんさん。皆応援しているので良く休んでください。僕は最近は鎌倉殿の13人の事について書いています。鎌倉殿の13人は鎌倉時代が舞台の歴史ものでそこに少しずつ、西部劇やハリウッドの映画のクライムもの。悪者の群像劇の要素を組み合わせた話です。

僕はとてもうれしいです。ありがとうございました。僕も応援しています。