ブログもの真似主 nezuzyouziのブログ

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てぇてぇさんのチョコレート

今日は、てぇてぇさんに好きな物をきいてみました。ミルクチョコも好きだけどビターチョコも好きだそうです。僕もチョコレート好きなのでうれしいです。チョコレートは疲れたときに食べると良いそうです。最近は健康志向でシュガーレスという事でビターチョコが人気だそうです。最近と言うとビーントゥバーというオーダーメイドのチョコレートも人気だそうです。これはその名の通り、豆からチョコレートを作ります。この質問もオーダーメイド、世界に一つのてぇてぇさんのオリジナルボイスです。これもビーントゥバーですね。ありがとうございます。チョコレートというとアーモンド入りのチョコレートも美味しいです。てぇてぇさん。質問に答えてくれてありがとうございました。

他のメッセージ、質問では「癒してほしいよ。」とか、あの声でメッセージお願いします。と声があったので他の方にもメッセージを届けていました。皆さんも癒されていました。僕もそれを見てうれしくなりました。いい場面に立ち会えました。このように声を掛け合うのも素敵な事だと感じました。

 

銀色の声真似。

向田邦子先生のかわうそを読んだ。かわうそ脳卒中で倒れてしまった旦那さんとそれを介護するおくさんの生活をつづったはなしです。しかし、介護で愛に目覚めるというよりは脳卒中という病気、大きな事件を党してその夫婦がいかに仲が悪く問題を抱えていたか。いかに夫というのは人に遠慮して暮らしているかということが暴かれていくという構造になっていました。今は、新しい生活様式が叫ばれていますが、自分というのがいかに恵まれているか。人からの無償の愛というのはかけがえのないものだという事を意識して生活したいと思いました。最後のページの旦那さんが自分で命を絶とうと包丁を持っていると奥さんが「あなた。包丁、自分で持てるようになったんですね。」と笑ったシーンが良かったです。少し、ギャグ風で良いと思いました。しかし、思い悩んでいる人に対してそれは酷な事だと思いました。しかし、包丁をまひのある手で持てるようになったという事は新しいスタートに立てたという事だと思います。まひに負けないで新しい所に立つ。降り立ったお父さん。しかし、それは自殺のためで。ここが残酷であえいながらも、温かく。邦子先生なりのエールなのだと感じました。しかし、エールだと思って読んでいても聞いていてもそれは皮肉だよ。という人がいるかもしれません。けがの光明という言葉もあります。必ずしもその結果が芳しくなく酷な事もあります。しかし、それは間違いなく現実なのです。だから、最後の奥さんの言葉はそれを表していると思います。

向田邦子先生について

向田邦子先生

向田邦子先生についてかかねばならない。僕は向田邦子先生の作品、阿修羅がごとくが好きだ。シリアスとお笑いの要素がうまく混ざっているからだ。向田邦子先生といえば、食べ物、エビチリの話、昔、中華調理というのは大変効果であるために大皿を綿飲んで、みんな出たら少ししか残らなくてお金を払ったのにと残念に思ってたそうです、しかし、先生は少食だから、少しでいいわ。ということでみんなで分けるっていいわね。と言って終わって、けれど、家に帰るとなんでみんなのおなかに入っちゃうのよ。と口さみしくなったそうです。向田先生は楽しいシーンと悲しいシーンがつながっていたり、たのしいおじさんが昔を思い出すと夏の宵委が思い出されて・・というような始まりが埋まったり、○○というのは○○でございまして・・・とはじまり。そこから話が回っていくのです。文章も易しく楽しい。配信で話好きのお姉さんが面白い話を一席やってくれている。なんとかですから、という言葉でリズムをとって、たたみかけていくのがうまいと思います。さっき配信のお姉さんがといいましたがそう思うと次は貫太郎父さんの工場、阿修羅がごとくのお父さんがみんながいない暗い部屋で新商品のインスタントラーメンを食べている。おいしいはずなのに涙がこぼれてくる。戦争の時代にはこんなの魔法の食べ物だったのにちっとも未来の味がしない。するのはわびしい味だけだ。とうようなイメージがわきます。おもしろいです。作品世界を旅したような気がしても、あれと思うと邦子先生の元へ帰っていく。不思議な体験です。これができるのが向田邦子先生の力なのでしょう。

今生きていたら、ツイッタースマホの話をかいてほしいです。

冷めた飯の温かみ。

てぇてぇさんは面白いです。マイペースな方だと思いました。

歌もファンサービスでやっていました。僕は僕のやりたいように楽しむ大変学びになりました。

学ぶことはいい事だと、感じました。僕は学ぶことが好きです。考える事もすきです。だから、ここにいます。僕は、人が話しているのを聞くのが好きです。本を読んだり、映画を見たり、ブログもすきです。ブログを書くことによって自分の知らないことが分かったり、自分が知っている事でも理解が深まったりします。最近嬉しかった事はブログを他の方に読んでもらえたことです。最近は配信に行くようになって新たな理解や自分の中での勘違いの意味が分かるようになってきたかな。という事です。だから、この頭のイメージを大切にしながら前へ進みたいと思います。それから、一つ個人的に嬉しいのが世代が近いかもしれない人にちらほらと出会えたことです。今は非常に良いペースなのでそれを保ちたいとかんじます。前よりも世界が広がった、また違ったアプローチを覚えた。引き出しを貰った。てぇてぇさんしかり、生ハムさん。それから佳代子さん。大変学びとなりました。気軽においでとかいてあるのが良いです。たまに行きます。よろしくお願いします。

 

「ただいま~。いや、いいんだよ。それはさ。だけど、一つじゃないって事は思えるよな。俺、勉強になった。まぁ、今日はここでお開きだな。何があっても、一つの世界の答えだよォ。」

冬彦は何げなくテレビを見た。キャスターがニュースを伝えた。感染者は~と伝えた。

冬彦は舌打ちした。そして、叫び声を上げそうになった。目の前の冷めた飯、おかずに目をやった。ナンダヨ~と思った。イライラして泣いた。後ろでそりが合わない妻が寝ている。なんなんだ~。と思った。しかし、そんな高いびきを書いて寝る妻も、感染症のニュースも今夜だけは愛おしく思えた。冬彦は思った。「夜霧よ。今夜もありがとう。」と思った。しかし、そのありがとうは冷たいありがとうではなく、温かみのあるありがとうだと感じ取った。世界は一つじゃない、しかし、一つだ。そのありがとうの良い響き、その後からくる悪い物に負けないように。打ち勝っていけるように。今はありがとうと謡いたかった。冬彦は「今日だけ、顔つき違うよなァ。」とボソッといった。そして、フンと鼻を鳴らし。風呂場へいった。

冬彦と一つの花。 向田邦子。 

一人の人が可愛い声を出す。一人の人がかっこいい声を出す。一人の人が怖い声、悲しみのこもった声を出す。一人の日の陰りと共に変わっていく。その一瞬を見せていくのが役者さん。それが楽しいです。表情の筋肉の使い方。目の開き具合。ブレスの使い方。わざと大声を出す。鼓舞するために声をはる。声を潜める。足の使い方。手の使い方。刀の所作。道具の使い方。セリフの機微、男性でありながらも女性の声。青年でありながらも老人の声。女の人がのどをしめると男性の声。僕の声は大会声だから、調整すると良い声になる。それを見せていく。素敵です。文字を走らせる。その中で変わっていく。考えがまとまっていく。それを見るのが面白い。感じるのが楽しい。心の世界は分かりにくい。僕にはコントロ-ルはできない。だけど、それは同じなのだ。興奮すると我を忘れる。美しい人もそうであった。だから、僕個人もスタートは同じだ。僕もだんだんと変わっていく。カメラワーク。カット。それは同じだとこのゴールデンウィーク中に感じた。

変わっていくとき、僕は機微を見た。カメラが切り替わっていくように。右から左へ。声が躍っている。表情が躍っている。

それを見て行くのはたのしい。学びになる。

冬彦はまず、眼鏡をかけている。人を見るときはお母さん役以外は斜めから。眼鏡をかけているのに。裸眼で俺はここにいるぞ。と訴える。そんな人ではないのに。仕事ができる寡黙な男性なのに。心の中にエネルギッシュなロックな男を飼っている。

一花もまた、五人姉妹の中では、賢く幸薄そうだが、本当は誰よりも上杉に甘えたいのだ。大きな夢を抱え、実現に動くがそれは大きな構ってほしいが故の嘘のような部分もあり、そういう意味では、一番、スーパーヒーローにあこがれているかもしれない。それが発奮材料となり、自分の幼稚な部分を隠し、長女の自覚となる。そのような意味で冬彦に似ている。つまり、それをあぶりだすのである。連作、カメラというのは。僕個人も板についてきたが、まだまだな部分もあり、これを伸ばしていきたいと思う。だから、書くことは面白いのだ。