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父さん、朝露の娘

父さん、朝露の娘

 

コロナウイルスがあったとしても、日常は進んで行く。進むときにどう進むかだ。

過去を懐かしむよりも今あの時、懐かしかったなというほうが良いのではないかとも思います。大切な人を守るために手洗いをする。昔は良かったね。というけれど、昔は、ツイッターもなく、ブログもなく、スマホも無かったです。今は、令和の時代です。2020年代です。あのよかったね。と言えるようなきれいに丸くきれいに収まるように考えたほうが有益かもしれません。何かかけるうちは、何かを書きます。なにかできるうちは何かをします。コロナウイルスがあったとしても、僕は僕であり続けます。僕はあの時は、良かったな。ばっかりじゃなくて、あの時も良かったし、今も良かったって言える人のほうが強いと思いますよ。と、少し考えました。コロナウィルスがあっても僕らは置いていくのです。前に進んで行くのです。そんな強い気持ちで進みたい。挑みたい。僕もその一人として、生活をしていきたい。コロナウイルスに勝つのではなくて、コロナウイルスと向き合って明日も明後日も。しあさっても、半年後も、1年後も、生きていきたい。ブログを書いて、勉強して新聞を読んで、歌を聞いて、僕も、次のステップへ。もものすけ君のように流れていきたい。ヒーローを待つのではなく、自分もヒーローになる。そんなきがまえのほうが粋だ。と思う。

おや、ここにも、粋が見つかった。今は、粋じゃない。ここにも粋が見つかった。マスクはしても、粋は止めるな。マスクはしても力をこめろ。野球なくても締まっていこう。サッカーなくても、キックオフで、ワンボールワンボール大切に。怖い気持ちは添えるだけ、皆で一瞬、一瞬、ワンテイク大切に。コロナと向き合って、青葉の頃菜に、思いをはせて、今の涙が美しい朝露となるように。この言葉を書きます、じょうじがんばれ。お前、外人風の名前だろ。明るくいけよ。激を飛ばしながら。

 

向田先生だったら、コロナがあっても、明るい落語を謡うと思います。父さんはデッカイマスクをして、こずえは大好きな外国も大変な事になったわ。と泣き、ママどうしたらいいのと言い。修ちゃんは思い出したように弟なのにお兄ちゃん面をして、怖いけど、お姉ちゃんと一緒にいられる時間が増えてよかったと一人で変な熱を上げ、おばあちゃんは「いや、あたしゃね。自粛でも関係ないね。あたしゃ寝てんだから、まんねん自粛だわね。と笑い、美代ちゃんは、家の手伝いをしなきゃ、買物もママさんの代わりにいかなきゃね。なんとかいって、そうしてると、さと子母さんがいいのよ。美代ちゃん。ママがいくから。と笑い。トンさんは、自粛かね。親分さんに怒鳴られなくて済むなあ。へへへ。家で酒飲んで昼間から寝てよ。というでしょう。おやおや、この一家にはコロナなど関係ないようだ。こずえの銀色の杖が、この一家の明かりを優しく返していた。肌寒い世も朝になれば温かくなる。朝となれば、夜露は朝露となる。草木の中に輝いて、小さく光る。美代は嬉しかった。こんな時でもなぜか、嬉しかったのだ。ママさんとこずえと親分さんといられるのが嬉しかったのだ。ママさんにいいのよ。と言ってもらえたのが楽しかった。

こんな時に自分の事ではなく、ママさんの事を真っ先に考えられた自分が誇らしかった。危機感を持ちながらも、温かく、前向きにということだろう。美代はこの時が楽しかった。心を一つにね。と強く思った。心が熱くなった。

おや、熱くなる?聞き捨てならんな。この言葉を書いて。筆をおきたい。

 

rito.gameha.comりとさん。この記事は大変勉強になりました。ありがとうございました。