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リノの広い海。パラレルファクター。政治家稼業。

 リノの広い海。パラレルファクター。政治家稼業

 

 この研究をはじめて、何年、たっただろうか。?

せんろたちと別れて、はや、何十年。あっちの国やら、こっちの国やら、県やらを回り、幾日も、幾日も、海の事ばかり。もう、僕も、いい歳だ。だから、あの二人も、けっこうなおっさんだ。風の便りに、ワコク帝大は、共栄大に変わったそうだ。服装も、カジュアルになり、いろいろなルーツをもつ、学生も、たくさんいるそうだ。この海の様に、ダイバーシティーで、頑張っていってほしい。話は、横道にそれるが、海の砲台、国防のために、ワコクに作られた砲台も、台場というらしい。僕は、せんろでは、ないけれど、古来、国を守るため、外国と、一枚隔てていたものと、多様性を意味する。ダイバーシティーが、同じような言葉なのは、不思議な、おかしさを感じる。

 

 僕は、せんろたちとは、学部も、違ったし、志す物や将来の夢は、違っていた。せんろも、津山も、最初から、政治家志望だったし、ハセガワ議員の元で、せんろは、勉強が終わった後も、書生をしていたし。津山も、政治研究会で、線路がいない時も、部長として、活動を続けていた。僕はと言うと、カメリア語で、書かれた魚や海に関する本や文献を読んでいた。僕は、カメリア語の研究に来たの。と、言わんばかりに、大学を卒業するまでの四年間、カメリア語づけだった。危うく、カメリア人になるところだった。けれども、それが、良かったのか。カメリア語が堪能になった。

 

 これも、おかしいと思う。ワコク帝国大学は、ワコク人を育成するための国風の大学であったはずで、そこの卒業生は、いわゆるサムライのような人が多い。けれど、僕は、違った。海外生活が長いせいも、あってか。畳より、椅子。抹茶より、紅茶やコーヒーの方が落ち着く、それに、どこどこの国、文化というよりも、同じ世界、同じ海に浮かぶ島の文化として、尊重したいという気持ちの方が、強い。ワコクも、随分と変わったと聞く、今は、どうなっているのだろうか。

今というと、今だから、言えるが、僕は、リノちゃんの事をかわいらしいと思っていた。ほんとに、お前は、せんろか。と思った。顔も、背格好も、違っていた。こんな子が、近くにいたら、毎日楽しいだろう。と思っていた。だから、津山が羨ましかった。津山は、せんろがリノちゃんになると、おい。リノ。と怒り、せんろとなると、おい。せんろと言っていた。僕は、せんろの事も、津山の事も、せんろ君。津山君。リノちゃんと、呼んでいた。僕も、ビシッと、男らしく、せんろ、津山、リノと、呼べれば、良かったのだが、育ちのせいなのか。なんなのか。で、当時は、呼べなかった。今は、因果なもので、君や、さんのない、カメリア語で、話すことの方が多い。今なら、呼び捨てで、せんろとも、津山とも、リノ、いや、女性は、いや、違う。呼び捨ては、失礼か。そんな風に思うと、せんろや、津山のことも、君を付けて話すだろう。遠い海の上から、応援しているよ。せんろくん。津山君。それから、リノちゃん。

リノちゃんは、いくつになったのかな。せんろの一部だから、彼女も、いい奥さん。いや、女史に、なっただろうか。

グローバル化だ。国際化だ。広い海だ。言っている海の上で、そんなローカルなことを考えた。どうやら、僕も、生粋のワコク人らしい。いくら、カメリア語で、話し、パンを食べ、横文字の溢れる生活を送っていても、僕のルーツは、ワコクらしい。こういうことをお国、お里と、いうのだろうか。僕は、そう思った。そう思うと、せんろが、リノちゃんの時に、僕を茶化して、「ねェ、魚住クン。オサカナのけんきゅー^^してネ。リノネ。^^おうえんしてるぅ。^^」と、ケタケタ笑ったことを思い出した。その時の女史の目は、キラキラとしていて、海のようだった。あれが、あったから、今の自分があるのかもしれない。と、ふと、思う。そう思うと、僕も、ワコク人なのだ。と思う。

 そう思うと、僕は、安心した。自分のルーツが分って、安心した。

自分のルーツは、ワコクなのだと、強く思えた。

僕のルーツも、きっかけも、すべて、あの国にあるのだ。そう思った。