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音楽が生まれた日。 パラレルファクター

僕は、今、ピアノを作っている。1000年前から僕たちに贈られてきたメッセージを届けるための。

この国には、ピアノも曲も歌もない。僕はそのことを知ったとき、驚いた。

僕にとって、曲がない、歌がないというのは考えられないからだ。

でも、僕その時、今は、歌も曲もないかもしれない。けれども、ないとすれば、作ることができる。思った。

ラニッツさんにピアノを作ることを提案したとき、ラニッツさんはピアノ?それはなんですか?と少し困った顔をしていた。其れなのにラニッツさんは僕の提案を笑わずに聞いてくれたのだ。そして、「そうですね。やってみましょう。そのピアノというもので、前に進めるなら、やりましょう。」と言ってくださった。そして、彼は、オジュサさんを紹介してくださった。オジュサさんは、土で何でも、作ることができるという不思議な力を持った方で、僕とアスミちゃんが乗ってきた船もオジュサさんが作ったものであった。

僕は、彼に、ピアノづくりのお手伝いを頼んだ。僕も、この時、ラニッツさんの作った土の塊と格闘をしていた。

僕は、その土をいじりながら、この土は、不思議な力で生まれた土なのだ。この土は僕にとって未知のものなんや。でも、今、僕はその土をさわっている。不思議だ。と思った。

そう思うとオジュサさんたちにとっての音楽と同じだ。僕たちは、知らないものを交換しあったのだと思った。

ぼくとオジュサさんは、その後も土と格闘した。格闘というとなんだか怖い感じがするけれど、とても楽しかった。肌で、タミューサ村の日の光を、土の感触を感じながら作業をするのが楽しかった。僕たちは苦労の中にも楽しみながら、「オジュサさん、ここはもっと、スムーズにできませんか。」とか、「うーん、ここは、もっとほそくすれば、よし、これでどうですか。」と言って作業した。すると、土の塊は僕とオジュサさんの楽しい力に「ひい、参った。」と根負けしたのか、だんだんとそれらしい形になっていった。

その時、ラニッツさんが、鍛冶屋さんから、鋼鉄の線をたくさん買ってきてくださった、

ラニッツさんは、女性の方を連れていた。

僕は、ラニッツさんと、その女性を見たとき、あ、女の人だ。と思って顔が赤くなった気がしたが「さあ、もうひと頑張りだ、」と思って、なんとか、打ち消そうとした。

しかし、少し、知らない女性がいるぞ。ドキドキするな。という思いは残った。

その女性はエコニィさんという名前だった。

僕は、エコニィさんに、「僕は、ワコクのかなで山県から来た、町田 ヤスオです。よろしくお願いします。」とあいさつすると、エコニィさんにも作業を手伝ってもらう事にした。

 エコニィさんには、ラニッツさんが買ってきた、鋼線をピアノに張り巡らせるのを手伝ってもらった。この作業は、重要である、弦がなければ、音は出ない。ピアノにとって、命と言っても大げさではない、作業だ。

僕たちは、皆でピアノを作った。ピアノは、鍵盤がハンマーを押しあげ、弦を揺し、音が出る、なにも、一つの何かが勝手に動きだし、音を出しているわけではない。それは、今の僕たちと同じであると僕は思う。僕が、ピアノを作りましょうといっても、ラニッツさんや、オジュサさんやエコニィさんが協力してくれなければ、できなかった。僕は、一人ではできないこともみんなで力を合わせれば、できるのだなと思いながら作業を続けた。

僕が、そう思いながら作業を続けているとそれはできた。

この国にとって、初めてのピアノができた。ラニッツさんたちが、知らないと言っていたピアノが、今この国に生まれたのだ。

僕は、それが完成したとき、嬉しくなり、協力してくださった皆さんに、ラニッツさん、オジュサさん、エコニィさん、ありがとうございました。」と言った。

僕がそういうと、皆さんは、「完成しましたね。町田君。」、「今までたくさんの物を造ってきたけど、こんなに綺麗なものは作ったことがない。」、「素敵なモノだね。これは、」と言ってくださった。

ぼくは、ラニッツさん、オジュサさん、エコニィさんの言葉を聞きながら嬉しくなった。そして、僕はピアノの椅子に座って、鍵盤に触れて、音を出した。その音は、ポーンといういい音だった。それは、とても美しい音だった。

その音は、いつまでも、僕の頭の中に響いていた。僕はその音を聞いていると心が温かくな多様な気がした。

この音が、キスビットで生まれた初めての音だった。その音は、まさしく、産声だった。 

 坂津 佳奈 (id:sakatsu_kana)さん、キスビットとラニッツさん、オジュサさん、エコニィさんをお借りしました。