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学芸員さんのお話 パラレルファクター

僕は、近所のかなで山博物館へ行きます。

この博物館は、かなで山町の歴史やかなで山に伝わる伝説に関する博物館です。

このの町は、平安時代の中頃から、幕末まで、かなで山のどこかには、地獄があるという伝説が伝えられており、その伝説ははかなで山マンダラという32本の掛け軸にまとめられました。

この掛け軸は、右側に、地獄の恐ろしい世界、鬼や妖怪などが掛かれ、左に極楽浄土の美しい世界、仏様などが掛かれている。
この掛け軸は、中世や、近世まで、かなで山をあの世だ。あの山は神聖な場所であるという、教えがこのかなで山町に存在したことを伝える物であることをつたえているといえる。
かなで山は、今でこそ、登山道が整備され、自然が美しい山、世界的な観光地であるといえるが、中世や近世まで、登山はとても過酷なものであった、このころのかなで山は、活火山であったから、
とても危険な山であった。特に夜などは真っ暗闇で何も見えず、山小屋も少なかったので、登山は恐ろしい物であった。
であるから、この掛け軸の右側に書かれた鬼や妖怪たちは、夜の登山道の恐ろしさやマグマや活火山で、あったころのかなで山の生命の息吹を表しているのだ。
しかし、そんな山であっても、武士や山伏、寺の僧侶たちは、自分の強さ、仏や神の道、自分の哲学を極めるため、この山に登ったのである。
左の極楽の部分は当時の仏教的世界と、かなで山の自然の美しさが混じり合いとても美しく優美に書かれ、この部分には天女が空を舞い、西の空から、たくさんの仏様がこちらの方へ参ろうとしている様がえがかれている。
中世から、近世にかけてこの土地にあったかなで山は地獄の山であり、また極楽の山でもあったという教え。そんな教えがあったことをこの掛け軸は僕たちにつたえているのです。

僕は、この事を僕に教えてくださった、博物館の学芸員さんがとても好きです。

この学芸員さんのお話がとても楽しく、いつまでも聞いていたいと思います。

この学芸員さんは、とても真摯に、この町の伝説と向き合っていて、僕はそんな学芸員さんの姿は、かっこいいと思います。

この間、僕は、夜桜を見に外へ出かけたときに子の学芸員さんに会いました。

学芸員さんは、夜桜を見ながら「ここは、良い街だね。緑が豊かで、風もさわやかです。不思議な歴史もあって素敵な所です。」と言っていました。

僕は、この学芸員さんはとてもカッコいい人だと思います。

以前、夏の企画展にいったとき、僕は、この学芸員さんは僕の質問にも優しく答えてくださいました。僕はその時、とてもうれしかったです。

その企画展は企画展の目玉として新しく発見された帝釈天像が展示されていて

その学芸員さんが僕やその時、企画展を見に来たお客様に帝釈天像の事を説明していました。僕はその説明の中で、学芸員さんが、この帝釈天の体には、お経や人の名前が書いてあると言ったので、どうやってそれを調べるのかなと思ったので、僕はその学芸員さんにどうやって、調べたのですか。と質問しました

すると、学芸員さんは、特殊なレーザーや特殊な光を使って、読むんだけれど、この帝釈天像の体に書いてあることは、一部読めない所があって、今後も研究していかないといけないんだ。」と言っていました。それから、まだまだ、僕の地域の山の伝説にはわかっていない点がたくさんあり、その学芸員さんにも歴史的によくわかっていなくて、うまく説明できないところがあったり、分からないことがたくさんるのだそうです。

僕はその学芸員さんのお話を聞いて、分からないことってたくさんあるんだなとおもいながら、大変興味深く聞いていました。

僕がその興味深そうに感心して聞いていると、その時、学芸員さんは、そんな僕を見て、「分からない事って、たくさんあるんだよ。だから面白いんだ。」と言っていました。

学芸員さん、頑張ってください。僕は学芸員さんを応援しています。

その学芸員さんが夜桜を見に行ったときに、ぼくにまた今度、また企画展をやるのでぜひ、来てくださいといっていました。

僕はそれを聴いて僕はとてもうれしい気持ちになりました。

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博物館へ行ってきたヨ。^^ - nezuzyouziのブログ

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学芸員さん、かっこいいと思います